2015年04月22日

『インヒアレント・ヴァイス』予習のページ


 わからない映画、にしてしまっては勿体ないので、『インヒアレント・ヴァイス』を観に行く前に、どうぞ、予習をしてください。この映画、筋を事前に知っても「ネタバレ」とはならない、そういう映画ですのでご安心を。

     サトチョン作成の登場人物一覧

     (以前から掲示しているものです。クリックすると拡大します)


●中央の初老男がミッキー・ウルフマン。ユダヤ系の大物デベロッパー。

  このミッキーと、ドッグの元カノ、シャスタが、どういうわけかくっつきました(『競売ナンバー49の叫び』では、同じカリフォルニアの土地開発で巨利を得たピアス・インヴェラリティが、エディパを恋人にしていましたね)。映画の冒頭で、久しぶりのシャスタがいきなりドックのオフィスに現れて、ミッキーの失踪について調べてくれといって去っていきます。

  シャスタのヒッピー思想の影響かどうか、ミッキーはいままでの強欲を悔いて、人は無料で土地に住むのが本来の姿だと悟る(小説では、ネバダの砂漠に大規模な無料の居住施設を建設している)のですが、そんなことを〈かれら〉が許すはずはありません。〈かれら〉とは、アメリカを背後で操る、カネと権力の結託した反動勢力です。

  ミッキーはクリスキロドンという施設に入れられてしまいます。金持ち向けの精神治療施設をよそおった、〈かれら〉による洗脳施設──ちょっとパラノイア的ですね。これぞピンチョンの世界。

  ミッキーの妻スローンは、リッグズ・ウォーブリングという逞しい大男(ミッキーの雇った建築家)を愛人にしている。家にはお色気丸出しのメキシコ系メイド、ルスがいて、探偵ドックに味方します。


シャスタの次に、ドックのもとに依頼にきたのは、タリクという黒人。武装をめざす黒人過激派なのだだけれど、ム所で知りあったネオナチのグレン・チャーロックを捜してくれという依頼だ。グレンは、ミッキーに雇われたボディーガード団の一員。

  “アタマがおかしく” なる前にミッキーがやっていたロス再開発の一環に、黒人居住区の壮大な宅地化の仕事があった。その名も立派な「チャンネル・ヴュー・エスエイツ」。この建設現場で “ペロペロ・スペシャル”の商売をやっていたのが、ジェイドとバンビで、その店に入ったドックは頭に一撃をくらう。気がつくと、同じ一味の仕業だろう、グレン・チャーロックは殺害された後だった。

 ミッキーがヒッピーとくっついちゃうのもありえない話ですけど、ブラックパンサーと白人至上主義者との間に、武器供与の約束が成立するというのもありえない話で、でもそこをくっつけてしまうのがピンチョン。おまけにタリクはグレンの妹クランシーとできちゃいます。この「ありえなさ」、非常識的解放感、がピンチョンの味なんですね。


 ウルフマンの一件ではFBIが動いていて、フラットウィード(つぶれたハッパ)とボーダーライン(境界性人格障害)という名前をもつ二人が、ドックに関心をもちます。ロス市警は腐敗しているものの、この一件で動き出した “ビッグフット” ビョルンセン刑事は、映画中もっとも大胆にヘンなやつで、フローズン・バナナを舐めながら、英文科の教授みたいな言葉づかいでヒッピーを虐め、でも根はいいやつで、演じるジョシュ・ブローリンのド迫力にはきっと圧倒されるでしょう。

  ビッグフットとドックは、水と油の関係であるはずなのに、ピンチョンはここでも、相反するものをリンクさせ、二人の絆が強まっていく方向に話をもっていきます。ビッグフットの相棒が〈かれら〉に抹殺されていて、殺害を手掛けたのが、エイドリアンと彼の手下のパック・ビーバートン。パックはミッキー・ウルフマンに雇われた一人でもある。なぜか洗脳施設にもいて、シャスタのヌードが描かれたネクタイを持っているのだが、詳しい事は重要でない。〈かれら〉に使われる殺し屋、という理解で十分だ。

  〈かれら〉──大文字の They──とは『重力の虹』に出てくる表記をサトチョンが勝手に借用しているものですが、こちらの話で、邪悪な影の支配者は「ゴールデン・ファング」というシンボルによって括られています。ピンチョンの小説では、実体を曖昧にしたまま、シンボルだけが浮遊するということがよくあるんです。『競売……』の「トリステロ」もそうでした。『V.』におけるV.(歴史を操る女)は、まさにそれ。


Golden Fang(金の牙) は、具体的に、3つの現れ方をします。

 @船。美しいスクーナー帆船です。ミッキーとシャスタはこれに乗って、遠くへ連れて行かれた。この船は〈かれら〉による、ベトナム地域からのヘロインの輸送にも使われています。ヘロインの事業をマネージしている一人が、図の右上の、クロッカー・フェンウェイ。(その娘のジャポニカは家出の常習犯で、過去にドックは、フェンウェイからの依頼で彼女を連れ戻したことがある。)

 A歯科医師の団体が税金逃れのために起ち上げたとされるオフィス。ドックとシャスタのシックスティーズの想い出の場所は、この時代、Golden Fang の建物──すごいですよ、金の牙の形をした巨大なビル──に変わってしまいました。その中ではコカイン狂いの歯科医ブラッドノイドが、女の尻を追っている。ヘロイン中毒患者は歯がボロボロになるので、歯医者のお得意さん──ということで、歯科医とヘロイン密輸は、Golden Fang のシンボルでつながる。

 B後から分かるのですが、洗脳施設クリスキロドンは、ギリシャ語で「金の牙」の意味なのだそうです。


それぞれ別個と見えるものが、同じ記号でひとつになる。背後に、共通のエージェントが見えてくる。それってパラノイアですけど、ピンチョンの小説は、読者をその状態に誘いこむのです。

  パラノイアに走ってしまいましょうか? こう考えるとスッキリしますよ──

 アメリカという国は暴力的なカネの力で動いている。クロッカー・フェンウェイのような、裕福な土地持ちが、ニクソンのような政治家の後ろ盾となる一方、陰でいろいろ企んでいる。東南アジアからのヘロインは、人民をコントロールするためにも使われている。ヘロイン中毒のミュージシャンを標的に、彼が過剰摂取で死んだと見せかけ、マインドコントロールして密告者や、擬装騒乱者として使う。そうして反体制のヒッピーや活動家をつぶしていく──。(なにか、パラノイアというには、あまりに現実味がありすぎますかね。この映画には、ニクソン本人もでてきます。その演説を、〈かれら〉に操られるコーイが「やらせ」で妨害します。)

 チャーリー・マンソンの事件を〈かれら〉が仕掛けたのではないにしても、60年代の希望を吹き消すようなことがこの時代、次々起こっていたことは知っておいていいと思います。『ヴァインランド』でも、連邦のカネが巻かれて、ヒッピーが密告者にされるようすが描かれました。

 そんな暗い時代に、ひとすじの光を呼び込む存在が、ホアキン・フェニックス演じるドックなんですわ。

 ドックが、一度壊れたコーイ・ハーリンゲンの家庭を修復する物語が、映画では小説以上にきわだっています。感動的。演じ手はオーウェン・ウィルソンとジェナ・マローン。かわいい幼女も出てきますよ。

 そして映画では、相棒を失ったビッグフットとの奇妙な連携プレーによる逆襲(パックとエイドリアンへの復讐)も、見事なアクション・シーンとして描かれています。


●図の左下には、ドックの仲間が並んでいます。

 不動産屋のリート伯母さん。(ドックの父母は小説には出てきますが、映画からはカット)

 ベニチオ・デル・トロ演じる、オタク弁護士ソンチョ。彼は安カフェで「連邦政府=FBIが、マフィアの手からラスヴェガスを部分的に奪還するためミッキーを必要とし、彼を誘拐した」ことを伝えます。

デニス(実は「ディーニス」というのですが、これは penis ──英語だと「ピーニス」──と韻を踏むところが重要で、そのおばかな味は、日本語では出せない)。このヒッピーのダメ男は、小説だと、もっとおかしいです。

 Dr. チューブサイドとその受け付けのペチュニア(監督のパートナー、マーヤ・ルドルフが演じている)、そしてドックのヒッピー仲間のうち、占星術にもウィージャ盤にも詳しく、精神的に頼りになるソルティレージュ(ミュージシャンのジョアナ・ニューサム)が語り手をつとめています。このアンダーソンのアイディアは成功しているといえるでしょう。



なおこの人物図には間違いが2つありました。

・中央トップのピザの晩餐会のようなシーンに「クリスキロドン」と書いてしまいましたが、ここはトパンガ・キャニオンにある、成功したサーフバンド「ザ・ボーズ」の屋敷です。

・ヒッピーをセックス・パートナーとしている、ペニー・キンボル(リース・ウエザースプーン)は地方検事補ですから所属は「検察局」でした。失礼をば。


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2015年04月18日

「インヒアレント・ヴァイス」/「LAヴァイス」で、お呼ばれ

5月6日に、下北沢のB&Bで、佐々木敦さんとトークイヴェントのお知らせ。

それと、
5月17日、猫町倶楽部主催の、東京文学サロンと 東京シネマテーブルのコラボイベントに招かれ、お話しすることになりました。

よろしければお出かけください。サトチョンより。

posted by ys at 09:56| ピンチョン通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画『インヒアレント・ヴァイス』本日4月18日公開


上映館情報


『キネマ旬報』で4月下旬号では、サトチョンのインタビュー記事に5ページ割いていただきました。インタビュワーの五所純子さんが、この映画について、「60年代から70年代にスライドしていくなかで失われたもの、その哀しみを滲ませつつ、それを小さなところで逆転するロマンチックな映像劇」と、卓抜に表現しています。

 私は、ドッグとビッグフットのこじれた友情について、安全ドラッグとしてのマリワナについて、アンダーソンにとってピンチョンへの傾倒は自然なことだということについて語り、これは将来的に名作となる、と予言させていただきました。


もうすぐ発売される『ユリイカ』5月号は、P・T・アンダーソン監督の特集で、柳下毅一郎さんと対談しました。


発言を一カ所だけ、プレビューします。


佐藤 映画のレベルでもうひとつ、小説よりくっきりと光が当たっているのがコーイ・ハーリンゲン(オーウェン・ウィルソン)ですね。ピンチョンは『ヴァインランド』以後、だいぶ人間よりの物語を書くようになりましたが、それでも、人が人を救う話が、コミック風味でなく成就しているというケースはこれが初めてなんじゃないかと。

 話をまとめ直すと、探偵ドックは三つの事件に関わるわけで、まずはシャスタに依頼されたミッキーの失踪事件、これは柳下さんもおっしゃるように手が届かない。二つ目のホープ(ジェナ・マローン)に依頼された、夫コーイは死んだことにされて実は生きてるんじゃないかという事件については、曖昧なところを残さずに解明されます。三つ目が、虐め役のビョルンセン刑事(ビッグフット)から、依頼などされずに降りかかってきた相棒インデリカート刑事の抹殺事件ですが、この三つの事件の犯人は──パラノイアになりきっていえば――みんな同じで、誰とは特定されない〈かれら〉となんです。影で歴史を操る人間たちね。ドックは〈かれら〉の一味の富豪クロッカー・フェンウェイと正々堂々渡り合って、コーイを引き戻し、そしてふたたび妻と子どもと暮らせるように計らう。このメロドラマをアンダーソンは曖昧にせずに描ききりました。ビッグフットの話と、シャスタとの話は、エンディングをちょっと変えてますね。。フリーウェイを走るドックの車のなかにシャスタがいるというのは、ちょっと余計だったかな、なんて僕自身は思いますけどね(笑)。

posted by ys at 08:20| ピンチョン通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする