「これが衆議院議場なのか」
健一は、テレビで見た衆議院議場を目のあたりにして圧倒されました。
「ここで、たくさんの法律が決められます。」
案内の人が説明してくれました。
(ここで国の法律を決める。ぼくらは校庭遊びのきまりも守れないのに……)
以上は文部科学省刊『私たちの道徳 小学校五・六年』のなかの一章、「きまりは何のために」と題する一課の読み物の冒頭です。
良い生徒(名前は健一)が比較しているのは、国会と小学校の「代表委員会」。そこで決まった校庭使用のルールは、悪い生徒──なぜか名前が明(アキラ)と鉄男とういのですが──の我が儘によって踏みにじられた。国会議事堂で生徒たちは、不思議な感動にうたれます。
(国会議員の人たちは、大事なことを、衆議院、参議院の二か所で順番によく話し合って決めている。議員の人たちは、様々なことを調べ、考えて、国のきまりを作っているんだ)
国会見学の後、明も鉄男も反省をします。二人は新しいゲームの発売日に、早く遊んで帰ろうと、下級生の使用時間に割り込んでサッカーをしたのでした。
「きまりを軽く考えて、自分だけはいいかなんて……勝手だった」
●国会議事堂という神聖な場の雰囲気に圧倒されて、心を入れ替える子供達。(そこで行われている議論について学んで、ではありません。理性的な教育によってではない)この一課は何を教えようとしているのでしょう。現実の観察よりも、思考を停止させ、権力に畏れをいだいて従うことでしょうか。
●この教材で授業をさせられる先生方にしてみたら、まじに怖いですしょうね。だって教材自体が、「余計なことを考えさせるんじゃない」という脅しになっているわけです。特に昨今の、憲法の扱いと、国会強行採決の出来事の後では、この課で何を言うのか──ほとんど「踏み絵」のようだ。
●今回の法案通過が持つ意味については、多くのすでに繰り返し述べています。
数の力を持つ者が、自分たちの利益を追求するために、「思考」を排除し、商品宣伝のやり方で、テレビ大衆を丸め込もうとするのが、認められてしまうこと。
独裁的な権力が、繊細な「思考」を排除し弾圧するのは、かなり一般的なことです。ネット化した自由社会でなお、それが容易く行えるとしたら、無知の闇からの知の解放はどんどん難しくなってしまう。
とにかく子供達が、「世の中には、考えてはいけないことがあるんだ」というふうに学んでしまわないように。あきらめを植え付ける教育が、今日一日で進んでしまわないように、防御していきたいものです。