2010年09月13日

GR337|総天然色映像文学

『重力の虹』の文章は、小説として読解されるより、映画として感覚されるよう、意識して書かれている。
 してその「映画」は時に、総天然色(1945当時はまだまだ斬新でした)の映像を惜しみなく振りまく。スロースロップが気球家シュノルプの助けでハルツ山地を脱出するところは、中でも「美味しい」ビジュアル・シーンの一つ。緑に萌える初夏の丘、膨らんだ気球はイエローとスカーレットのツートンカラー。それが風を捉えて飛んでいくところ映像が、訳したあとも目にやきついて離れない。


気球がわずかに地面から持ち上がった。吹いてきた風がそれをとらえる。出発だ。ゲリーと子供たちは、ぐるりとゴンドラの縁を掴んでいる。まだ完全には膨らみきっていないバルーンは、だが次第にスピードを上げ、笑い囃し立てながら全速力で足を動かしているみんなを引きずり丘の斜面をのぼっていく。(・・・)モッコリといまや垂直に立ったバルーンが太陽光と交叉する。球皮の内側で黄と鮮紅の熱が渦を巻きながら放縦に乱舞する。ひとりまたひとりと地上のクルーが離れ落ちる。さよならの手振り。最後までつかんでいたのはゲリーだ。耳のうしろに梳かした髪の先端は三つ編、柔らかな顎と口、大きな真剣な目がスロースロップの目を見つめ続ける。ついにバルーンに振り切られると、草の上に跪いたまま投げキッス。スロースロップのハートも、もう一杯にふくらんで、すーっと空を登っていくよう・・・


 ゲリー(Geli Tripping)は魔女と悪魔の祭典で有名なハルツ山に住む、まだ修行中のかわいい魔女。その「胸キュン」な容姿としぐさを記述する英語にどこも難解なところはない。シンプルな情感を素直な語順で書いているだけ:

The last to go is Geli in her white dress, hair brushed back over her ears into pigtails, her soft chin and mouth and big serious eyes looking into Slothrop's for as long as she can before she has to let go. She kneels in the grass, blows a kiss. Slothrop feels his heart, out of control, inflate with love and rise quick as a balloon.(ペンギン版 pp. 337-8)

 このあとカラフルな気球は高く舞い上がり、白い雲の中に入る。後を追ってきた偵察機とのおかしな戦闘シーンを含め、その立体映像が、またとても(ふたたびオヤジ言葉でいえば)胸キュンなのだが、この鮮明な感覚世界を綴っていく現在形の文章を、日本語でどう追いかけていったらいいのか。原則は立たない。その都度のインスピレーションが必要だ。
 ただ一点、鍵となるのは、日本語で「現在形」とはなにかという考察。たとえば、捜し物を見つけたときの「あった!」は過去形ではない。感覚の現在形だ。逆に「ある」は、往々にして、時間の流れを抜け出た「論理/事実形」。『重力の虹』のような、感覚にずっぼり濡れた描出法をとる作品では、現在形の英語に、語尾の「た」をどう織り込んでいくのかも鍵となるようである。
posted by ys at 09:20| 『重力の虹』翻訳日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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