2011年01月11日

英語を〈知る〉こと。

カコちゃんを知るように過去形を学ぶ。スミちゃんを知るように完了形を学ぶ。そんな英語学習の場を組み上げられたらいいなあ、と思うんですよ。

「学ぶ」「知る」というときに、フランス人はふたつの動詞を使い分けるようですね。「英語を知っている(英語ができる)」は
Je connais l’anglais.
connaître (コネトル)という動詞を使います。
 一方、「現在完了に yesterday が使えないことは知っているよ」というときは、
Je connais……ではなく、Je sais que …… という。sais は、別の動詞 savoir (サヴォワル)の活用形です。

 手元の『現代フランス語辞典』(白水社)にはこう書かれていました。
 (1)従属節及び不定詞を取ることができるのは savoir のみ
 (2)人・場所を目的語にできるのは、 connaître のみ

 知の対象としての外国語は、人や場所の仲間。「私は英語を知っている」は、「英語と知り合っている」「つきあいがある」「その顔や心を知っている」ということ。とすれば、英語学習も、つきあって、カコちゃんやスミちゃんの「味わい」や「こころ」を、だんだんに知っていくように学んでいくのでないとおかしいです。
 でも、生徒Aと生徒Bでは、どちらがよくカコちゃんを知っているか、ということを数値で表そうとすると、savoir で知ることに還元しないと無理。これも正しい理屈です。
 で、生徒が英語を connaître する方向ではなく、savoir する方向への導きが支配的になる。あることを、事実として知っているか、いないかによって、その人の知識の量を量るというという制度に、事を押し込めていく。
 そのような捕らわれの結果、わたしたちは、「受験英語」というやつに自ら入り込んでいく。このごろセンター試験がだいぶ洗練されてきて、かつての「受験英語」っぽくなくなりましたが、この国には過去百年、受験英語という、世界にも稀な知識体系を発達させました。あれは大学の先生が、生徒の力が見たくて、要求したものではありません。そのニーズは、もっと深いところになるのだと思います。(この点については、またいずれ。)

 さて、ここしばらくの間、some と any の違い、現在完了と単純過去の違いに考える時間を割いてきました。両者の間には、規則的な違いがあって、それは感じるのだけど、論理の言葉で捉えようしようとしても、なんかウソになる。当然でしょう。横浜と川崎の違いも歴然としていますが、それを定式化しようとしても、必ず反例がでてきます。
 心の深み(これを日常 mind に対して heart と呼びます。フランス語では cœur)は、規則づけられていて、なぜここでは「現在完了」や some でないとうまくないのかということには、「ハートの理由」がある。でもその理由を、理性(the reason, la raison)が理性の知り方で掌握しようとしても、できない。──このことを述べた名言を紹介しておきましょう。

 Le cœur a ses raisons que la raison ne connaît point.
 (The heart has its reasons which the reason is not at all familiar with.)

パスカルの「パンセ」(1669)のなかの有名な一文です。この種の知識と familiar であることは、英語を教える人にとって、とても役に立つのではないでしょうか。
posted by ys at 12:19| 教え直そう、日本の英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。