2011年02月26日

『V.』サウンドトラック

ピンチョン作品は難解で観念的な純文学、『ヴァインランド』になって(訳者のせいもあって)急にポップになったという言説が、過去にはしばしば聞こえてきました。三月末に発売される新訳『V.』(小山太一との共訳)をお読みになれば、ピンチョンは最初からメチャはじけていたことがおわかりになると思います。

たとえばこれはミュージカル小説です。実際に歌詞を数行以上にわたって示してあるのは20曲程度ですが、ちょっと鼻歌を歌ったり、路上やラジオで歌われているものを含めると60-70曲にのぼります。
なにしろ楽しいのは、歌のアドリブ感覚のある人には、読書を一時中断して、登場人物と一緒に歌えること。
翻訳発売に先立って、私家版のベスト盤のアルバム(もちろんアナログ)を編んでお見せしたくなりました。どうです、このバラエティ。(タイトルに * がついているのは既存曲のカバー。それ以外は作詞=ピンチョンです)

《A面》
@「NYウーマンの瞳」(sung by ベニー・プロフェイン)……ブルージーなフォーク・バラード
A「ル・デゼルトゥール: 明日への脱走兵」*(パオラ・マイストラル)……アルジェリアの反戦フォーク(原曲ボリス・ヴィアン)
B「モンダウゲンの子守唄」(クルト・モンダウゲン)
C「論哲ソング」(カリズマ&マフィア)……ミュージカル・ナンバー(「論哲」とはヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のことです)
D「傷つくのはいつも女」(レイチェル・アウルグラス)……クラシック・ブルーズ
E「愛は鞭の痛み」(ヘトヴッヒ・フォーゲルザンク)……タンゴ
F 聖歌「天なる神には」*(甲板長の呼子演奏 : マダム・バッフォー)
G「海行く生首」(詩吟 by メヘメト)……中世吟遊詩人のうた
H「フリップ=フロップ」(マクリンティック・スフィア with パオラ)……モダンジャズ
《B面》
@「ステンシル様、今宵はご帰館」(シドニー・ステンシル)……ミュージックホール風歌謡
A「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォ・ユー:瞳は君ゆえに 」*(ダハウド)……ハリウッド・スタンダード(元歌=ルビー・キーラー&ディック・パウエル)
B「あの夏の海辺で」(ヒュー・ゴドルフィン)……ダンスナンバー(フォックストロット)
C「僕とおいでよ、レノックス」(ルーニー・ウィンサム)……ビギン歌謡
D「ヤンデル賛歌」(ピッグ・ボーディーンとカリズマ)……酔っぱらい歌
Eメドレー「海軍猥歌 : タマなしマーチ〜放尿の海〜ファッキーユース」
F「エスターに切り込めば」(シェイル・シェーンメーカー with エスター)……セレナーデ
G「処女の生贄」(組曲『中国娘の陵辱』より、ピアノ独奏 : ポルセピック)
H「お楽しみはこれからなのに」(フォプル館の全員合唱)

これ以外にも、主要登場人物のほぼ全員が歌う。19世紀末のスパイ、ポーペンタインがアレキサンドリアの広場で歌劇『マノン・レスコー』から歌います。フィレンツェでも、エヴァン・ゴドルフィンが馬車の中から隣の馬車のヴィクトリアに向かって歌劇『ドン・ジョヴァンニ』から歌います。1922年の南西アフリカで、ロバの背にモンダウゲンを乗せてくれるボンデル族の片腕男も、現地の言葉で歌い出します。

ニューヨーク下町のお祭りステージからも、ウェストサイドの移民街からも、兵隊さんと現地の女でごったがえすマルタ島の狭い通りからも、世界のポップスや叙情歌が流れます。1956年のラジオからはもちろんエルヴィス・プレスリーも。"デヴィー・クロケットの歌" の替え歌で自分の人生を綴るルーニー・ウィンサムは「ハイファイで聞くフォルクスワーゲン」など、変なサウンドを集めたレコードを製作しています。

なおアルバムA@の曲は、実際に、The Insect Trust という前衛バンドのアルバム《Hoboken Saturday Night》(1970)に収録されています。ピンチョンの了解をとらないで吹き込んだため、こじれそうになりましたが「ライブではやらない」を条件にピンチョン側が妥協したのだそうで、これはCDとして今も手に入ります。なおこのバンドのメンバーの一人が、後にブルース研究の名著『Deep Blues』等を書いた Robert Palmer です。


posted by ys at 22:16| ピンチョン通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする