1(B)の問題は、16歳の高校生が、お爺さん、ひいお爺さんの写真を見ながら、過去の世界を──その悲惨と栄光を──想像し、自分たちの未来も、両親が心配するように単に悲惨なものではないという、明るい結論に達する内容です。
これは現実にアメリカの若者が書いて、出版されたものらしいです。
http://thisibelieve.org/essay/4205/
これなど、ウェブに朗読つきで載っています。
若々しく伸びやかですばらしい英文です。この朗読はちょっと、日本の高校生に聞かせるには速いけれども、こういう英語だけを聞かせ、書かせていたら、自然な英語の読解力、表現力はすごく伸びるなあ、良い時代になったなあ、と思いました。
この英文を入試に持ってこられる感覚の人がいるのに、さっきアップした非現実的英文が却下されることはなかったんだなあ。
残念、相互チェックの不備。全体のクォリティを考える立場の人が、うまく動けていない。大学教授が密室で集まると、そんな風になってしまうんでしょうかね。
入試とは神聖にして「知るべからざる」世界であるわけだけど、問題づくりが、ネットで探した文章を、ちょこちょこと加工して出来てしまう時代。その問題造りの過程も、一民間人が簡単に想像できてしまう時代です。
マル秘委員会の権威もあぶなくなりつつあります。
試験当日まではもちろん徹底した秘匿性が守られるべきですが、試験後は透明性と品質をアピールするような体制に早く入っていかないと、近い将来、何かいやなことが起きそうですね。
大阪検察庁、日本相撲協会が自己保身できなくなったのも、フロッピーディスクや携帯電話がきっかけでした。
アラブの政治権力までつぶされようとしている今、情報社会の「権力側」に暢気に立っていることは不可能になりました。
入試問題づくりの先生方は何も後ろめたいことをしているわけではないけれど、日本の英語を引っぱっていく自覚がないと批判されます。善良な学者さんが嫌な目に遭わないよう、このサイトからも非力ながら警告を発していきたいです。