実は彼とのつきあいはさらに古いのであって、1979年に『ユリイカ』の短期連載でピンチョン論を書いたときも、受けてくれたのは、27歳くらいの彼だった。
その坂下さんが、平凡社の新企画を動かしていて(6月には形になって書店に出るとのこと)、誌面に乗せる対談をとやってくれという。で、北中正和さんにもお願いすることにして、文京区白山にある会社の事務室で話してきた。
対談のタイトルが「『君の友達』が40歳を迎えて」。「君の友達」とは、ご存知、キャロル・キング/ジェイムス・テイラーの「ユーヴ・ガッタ・フレンド」(1971)のことである。
北中さんは「友達」というよりは、僕が大学時代に愛読していた『new music magazine』(旧称)に、バンバン記事を書いていた人で、その、いわば仰ぎ見ていた人と自分も対談できるまでになったのかという(いささか見当違いな)感慨を、じっさい持ってしまう相手なのだが、今日の話は、対談の内容ではない。
資料に何かもっていこうとして、『new music magazine』1973年4月号をバッグに突っ込んだ。北中さんが新人ベット・ミドラーの紹介を書いている。「今月のうた」みたいなページには、「カリフォルニアの青い空」(It Never Rainded in Southern California)の楽譜が載っている。そんななかで、当時は反応できなかった、三井徹さんによる「新着洋書紹介」に身を乗り出してしまった。
最後の一冊に(「この項のみ中村」という注つきで)編集長のとうようさんが John Storm Roberts の Black Music of Two Worlds を紹介している。1998年に改訂版が出て、音で学べるCDも別売されている。その本が、この、僕が大学生だったころにもう出ていて、しかも「両大陸にまたがるアフリカ系音楽を総合的に概説した初めての本」に興奮して紹介している人がいたのだ。
大和田俊之『アメリカ音楽史』の終章は「南北アメリカ大陸的想像力」を話題にしている。それを、新しい視点として紹介している。でも実のところロバーツのような人は、40年前からアフリカ(サハラの南)とヨーロッパとイスラムの全体の交流史の中で、アングロ/ラテンアメリカ音楽を考えていたわけだ。その思考スケールを踏襲した、単に「国境の南」を意識するだけでない、〈南北アメリカ音楽史の授業〉を教えている人、もうこの国にいてもおかしくない。