2011年05月20日

泥々とした放射の顕現

 中沢新一のエネルゴロジー、まだその一端を読んだだけだが、エネルギーの世界を二つに分かつ大きなラインが、「化学的(chemical)」事象と「核的(nuclear)」事象との間に設定されているのは、まあ当然といってよいだろう。

 ちなみに「ケミカル」は事象とは、原子の共有結合やイオン結合のありさまに関わる。物質の燃焼や、食物の分解吸収などから得られるエネルギーは、化学の時間に習ったように、「外殻軌道」を回る電子のやりとりを基盤とするのであって、こう捉えてみると、原子核レベルの変化から生じる核エネルギーの変化との「レベルの差」は歴然としている。そう、中沢さんの言うとおり、「地球の核やマントルで続けられている太陽圏的な活動の影響は、知覚の表層部につくられたささやかな生態圏には、めったに及んでこない」のだ。

 だがピンチョンの想像力は、もっと深く不気味である。chemical な営みと nuclear な営みの境界もとろけていくようである。
 ペンギン版482ページから4ページに渡って挿入される「モリツリ少尉の物語」。時は1945年7月末。モリツリは日本の諜報役人で、欧州終戦後のドイツに暇な滞在をし、バート・カルマ(Bad Karma)という冗談のような名前の鉱泉保養の街にいて、覗き見ることに多くの時間を費やしている。そこに、あからさまに神話的な女性が現れる。グレタ・エルトマン、Erdmann とは「地の人」の意味だ。V. 以来おとくいの、White Goddess の系譜の登場人物である。まだ仕事途中の訳文だが──

「・・・その日のバート・カルマの夕暮れは青ざめた暴力とともにやってきた。地平線は聖書的な破壊をたたえていた。グレタは黒を着込み、ヴェールの垂れる帽子で髪のほとんどを隠し、長いストラップのバッグを肩に下げていた。目指す先がだんだん一つに絞られていく。モリツリは〈夜〉が自分にしかけた罠にはまっていくような気がした。予言が川風となって彼を包んだ。いつもグレタが消えていく先、新聞が一面で書き立てた子供たちの──
 グレタが黒い泥溜りの縁に着いた。ふつふつと地下から湧き出ているのは地球と一緒に誕生した物質、その一部が囲い込まれ熱泥泉となって、名を与えられている・・・。それに捧げる供物が少年である。みんなか帰ってからも一人残っていた、冷たい雪のような髪をした子。会話は途切れ途切れにしか届いてこなかった。(……)」


 この街では少年の連続失踪事件が続いていた。この温泉が人気があったのは、その放射能に依るところが大きい。(日本の町でも、つい最近まで「ラジウム鉱泉」や「ゲルマニウム温泉」の看板があったが、あれは最近どうなったのだろう?)
 モリツリはスロースロップに語る。

「ここの人たちの放射能(radiation)に対する民間信仰はたいへんなものですな──季節を問わず鉱泉と渡り歩いているでしょう。神の恩寵、まさにルルドの聖水です。そこから発する神秘の radiation が、万病に効く、究極の治癒であるかもしれないということでね」

 英語で放射能 =radiation)は「光輝(radiance)」と同根のイメージだ。光輝とは、不可視の神がこの世に臨在するときの姿でもある。ユダヤ神秘主義には、神の花嫁が「シェキナー」が登場するが、モリツリは、先に目撃した恐るべきグレタを、シェキナーとして解釈する──

「わたしはあの放射の晩の縁に彼女と立っていたわけですから、このとき彼女が何を見たのかわかりました。子供たちの誰かが──泥と放射素(radium)に育まれ、だんだん大きく雄々しくなりつつ、ゆっくりと、粘っこい泥の中を、一年また一年と運ばれて、そして終に大人の男として川から現れる。彼女自身の黒々とした光輝(black radiance of herself)から這い上ってきて、ふたたび彼女のところへ還る。シェキナーですよ。花嫁であり后であり、娘であり、そして母であるところの。身を護る泥としての母、燃え輝くウラン鉱のような──」(ペンギン版 487 ページ)

 これまで 
大地→(死の回収)→化石燃料→ベンゼン環→有機化学 → 国際カルテル IGファルベルの暗躍 → 特殊性感プラスチック
という、ケミカルな連関網を進んできた『重力の虹』が、昭和20年8月6日まであと1、2週間という時点にきて、「核の神秘学」に踏み込んだ。その不気味さを紹介したくて、今日のエントリーとしました。
posted by ys at 14:32| 『重力の虹』翻訳日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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