「ピンチョンは唐突に,泣き出しそうなほど病的といってもいいほど叙情的なセンテンスを書く。それを読む私は喜びに救われる」んだそうです。そういって、木原善彦さん訳の『逆光』から何カ所か引用しています。最初の2つを転写させてもらいましょう。
《しばらくの間、彼は焚き火の明かりの中に腰を下ろし、黙って読んでいたが、しばらくして気がつくと、眠る前の子供に読み聞かせるように−−ウェブが死という夢の国に安らかに移ることができるように−−父の亡骸に向かって声に出して読んでいた。》
《泣こうとしている傷ついた少女がいるのを感じた−−苦痛で泣くのではなく、さらに危害を加えようとする人物をなだめるために泣くのでもなく、貧者を見捨てる町の冬の通りに放り出されることを怖れるかのように泣くのだ。》
保坂さんは昔からピンチョン好きで、お勤めのころ、題は忘れたけれど「ピンチョンを読みほぐす」みたいなクラスをセットアップしていただいたことがありました。僕もまだ30代だった、ニューアカ・バブル期の池袋。
しかし「泣き」というテーマでピンチョンを語り出すと、年齢的に涙腺がゆるんできているサトチョンなどは止まらなくなってしまうでしょう。ヨダレのような文章をお見せしたくないので、やめときます。
『重力の虹』も、みなさんに泣いていただくのが一つの目標です。ただの、闇や嵐や船や雲や夏草の描写などでも、胸にグサリとくるテンションなのに、それを背景に、狂気の歴史に使われる人間模様が、強制収容所の臭いやら何やらのリアリティとともにグイグイ語られていくのだからたまりません。
でも、そういう箇所は、丸ごと訳してお伝えする以外ありません。それについて、キャジュアルに語ってしまうのは許されない。翻訳日記とか謳いながら、なかなかエントリーが増えていかない所以です、Gzzzzz。