破壊的と言っても良いほどに難しい。特に後半は、小説の中で何が起こっているのかさっぱり分からないのです。
おやおや。では、原文に挑戦してみましょう。 オズビーはロンドンのチェルシーの一角、軍が借り上げた古い屋敷に住んでドラッグにのめり込んでいる若者。このシーンは1945年の盛夏で、対独終戦から三ヶ月近く経っています。(カッチェは、『重力の虹』の重要なヒロインの一人ですが、この章に、250ページぶりくらいに登場しました。)
Osbie is at home, anyway, chewing spices, smoking reefers, and shooting cocaine. The last of his wartime stash. One grand eruption. He's been up for three days. He beams at Katje, a sunburst in primary colors spiking out from his head, waves the needle he's just taken out of his vein, clamps between his teeth a pipe as big as a saxophone and puts on a deerstalker cap, which does not affect the sunburst a bit. (Penguin 版 p. 545)
chewing spices: 「スパイス類を噛む」、のことですけど、スパイスといっても、チョウセンアサガオ(jimson weed)などはその幻覚作用で知られています。
reefers: 紙巻きのマリワナを差す、ちょっと時代物の言葉
stash 「隠し物」という意味から、「個人で所持しているドラッグ」という意味に転用した語。
One grand eruption 「一回の大噴火」。マリワナ程度では経験できないかも。体から何が噴き上がるんでしょう。
beams at: 原イメージは「〜にビームを放つ」。「輝やくような笑顔を向ける」というときに使う表現ですが、このときのオズビーは、もう少し"文字通り"輝いているようです。
a sunburst in primary colors :「噴火」を受けています。体内の原色の渦巻きのようなものが、太陽が破裂するように飛び出たんでしょう
spiked out from his head: それが頭から、スパイク状に飛び散ったわけ。
waves . . . clamps . . . puts on;オズビーが注射針を抜いて振り、パイプを咥え、鹿追い帽をかぶった、ということですが、このパイプのサイズは、あくまでオズビーが感じるサイズです。パイプがサックスになるって、いい感じでしょ?
deerstalker cap:日本では「鳥打ち帽」というんですか、シャーロック・ホームズの定番の恰好。
does not affect the sunburst a bit;帽子を被ったら頭から出る原色の光に変化が出ると思ったら、少しも変化はなかった、ということです。
この文章を日本語化するとき、一番重要なのは、この Osbie Feel という若者の強烈な感覚世界を薄めないことでしょう。
少なくとも、オズビーの視点から見た世界だということが読者に伝わらないと、「小説の中で何が起こっているのか」わかりにくくなるでしょうね。たとえば He beams 以下を「カティエを見てニコッとする。原色の強烈な陽光が頭から放射されている」というスタイルで「客観的」に訳していったら、このパラグラフはかなりの部分、死んでしまいます。『重力の虹』を支える文学の要素が、崩れてしまいます。
しかしそれを防ぐためには、こちらも、まがりなりに文学を試作しないといけない。「文学っぽい文章」くらいしか作れてなくても、感度の鋭い読者が、その背後に真の文学を幻視できるようにするのが訳者のつとめだ。
[(One grand eruption. 以下) 試訳]いま壮烈な噴火がきた。三日も目が醒めたままのオズビーの顔が、入ってきたカティエの姿を見て光り輝く。原色の渦巻く太陽が、彼の頭から破裂して飛び散った。静脈から注射針を抜いたままの手を振る。歯に咥えているのはサックスほどの大きさもあるパイプ。鳥打ち帽を被っても、破裂する太陽にまるで変化はない。