2011年06月05日

虹やオーラの訳し方

きのうの引用した最後の文を再録し、それに続くセリフを太字で示します。

  He beams at Katje, a sunburst in primary colors spiking out from his head, waves the needle he's just taken out of his vein, clamps between his teeth a pipe as big as a saxophone and puts on a deerstalker cap, which does not affect the sunburst a bit.
 "Sherlock Holms. Basil Rathborne. I was right," out of breath, letting her bag fall with a thump.
 
 Katje said. とは書いてありません。ピンチョンはこの小説を映画的に体験してもらう実験をしています。言葉が説明抜きで直に読者に届く。その台詞自体、全然説明的でありません。超クール。でも、文脈が摑めて読んでいる人には意味がわかるんです。

 まず、シャーロック・ホームズはOsbie がdeerstalker cap を被っているのを見て出たコメント。Basil Rathborne とは、少し話が複雑になりますが、カッチェがさっき、とある戦時下の心理学研究所で、自分でフィルムを回して見てきた映画に出てくる役名です。「その Rathborne って、オズビー、あなたを表しているんでしょ」と言っている。 I was right. は「ほら、当たりでしょ」と言って、いかにも カッチェらしく胸を張っている。それを受けたオズビーの反応がすごい。ドラッグの恍惚の真っ最中に、あこがれの人カッチェが入ってきた自分に話しかけたわけです−−

The aura pulses, bows modestly. He is also steel, he is rawhide and sweat. "Good, good. There was the son of Frankenstein in it, too. I wish we could have been more direct, but−”
"Where's Prentice?"


オーラが脈打って、謙虚にお辞儀した? 彼は鋼でもあり、生皮で汗? どういうことでしょう。「オーラ」とは自分の体から出ている光ですね。それがパルスを刻んだ−−というのは、カッチェに「感じて」いる若いオズビーが、ドラッグの激しい影響下、心臓と股間をトクトクさせたということだろうと僕は読みます。

 みなさんにも伝わるでしょうか。幻覚トリップのなかで、勃起がきたときの体の強張り、かつ獣になった皮膚感覚と発汗の生理。"Good, good" はカッチェの問いに対する「ご名答」という返事でしょう。(フランケンシュタイの息子は飛ばして)more direct というのは、「あなたとの直な接触がしたい」という若い男の子の、純情なセクハラ発言なんだと思います。「もっと直に交われるといいんだけど−−」と訳しましょうか。現実には、自分の作る映像を通してメッセージを読み取ってもらうという、何ともまだるっこしい繋がりしか存在しません。
 そんなオズビーの純情を、カッチェはスルリとかわして、別な男の居場所をたずねる。−−けっこうドラマのあるシーン。僭越ながら、サトチョン訳をプレヴューします−−

「バズル・ラスボーンさんは、今度はシャーロック・ホームズなのね。当たり?」カッチェは息がハーハー。肩のバッグがドサリ、床に落ちる。
 体の周りのオーラが脈打ち、ひれ伏すように前傾した。体は鋼鉄、皮膚は獣の皮で覆われ汗だらけ。「おめでとう。フランケンシュタインの息子も入ってるんだ。あなたと、もっと直に交われたらいいんだけど−−」
 「プレンティスはどこ?」


 既訳ヴァージョンも語句レベルの対応は「きちんと」しています。でもいくら語句の意味を表現しようとしても、ドラマを伝えるのは難しい。そしてドラマはその場の人間関係がつくるもの。その関係は、口調によって表現されるので、翻訳者は常に戯曲作家を務める気持ちで臨まなくてはなりません。

「まるでシャーロック・ホームズじゃない、ベイジル・ラスボーンさん。わたしの思っていたとおりね」息を切らし、彼女はバッグをドスンと落とす。
 霊気が脈打ち、つつましやかにおじぎする。かれは鋼鉄でもあり、生皮でもあり、汗でもある。「結構、結構。フィルムの中にはフランケンシュタインの息子も出てくる。あれほど回りくどくなくてもよかったとは思うが−−」
「プレンティスはどこ」
(既訳版『重力の虹』下巻 pp. 189-190) 


きょうは「ピンチョンの文学性は行間にある」ということの一端を、お示しすることが目的でした。では、また。
posted by ys at 18:54| 『重力の虹』翻訳日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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