2011年06月17日

いい本が出た。

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ピンチョンを読むなら『競売ナンバー49の叫び』から、というのが定説だったけれど、この頃ぼくは、長いけど『逆光』などどうでしょう、と答えることがある(相手が、科学少年か物語少年だったりしただろうと思える人には、執拗に奨める)。

 この大作、最初手にしたときは、なんだこのスラスラ感は、と思った。「ふつうに読めるのに、やっぱりピンチョン」という感じが奇妙だった。
 もちろん『ヴァインランド』も『メイスン&ディクスン』も、若い頃の作品に比べれば一定の流れやすさがある。だが、『逆光』のもつ物語の自然な滑りというか、受け入れやすさというのは、それまでとはレベルが違った。ピンチョンさん、回心しましたか、とさえ思わせた。大掛かりな装置を外して、語りがリアルに進行するさまに対して、 「Unplugged Pynchon」という形容を使いたくもなった。

 しかしあの長さである。なにか手引きが必要だ──と思っていたところ、そこは,きっと準備のよい人なのだろう、木原さんは、この大著を訳しながら、ガイド本の原稿を書き溜めていたらしい。

 ピンチョンを訳すとき、どうしても、訳文に盛り込めない大量のことを調べるハメになり、その調べ事は読者にとっても有用だからと、註を増やしたくなる。その大量のことを、よくこれだけうまくまとめることができるなあ。(木原さんの最初のピンチョン論も、ピンチョン論として非常な軽みを持った本で、まるで読書ガイドの延長線で書かれた本、という趣きだった)

 世の中には、"Communication is the key." ということが分かっている人間と、サトチョンのように分かっていない人間がいて、サトチョンは、どちらかというと自分の思考を神(か、ピンチョンか、とにかく自分の遙か頭上におわす人)に向けてしまうクセがある。その点、木原さんは、現実の日本に生きて暮らしている人たちをいつも頭においていて、翻訳でも、解説でも、「ここまでなら上手に伝わる」ことを意識して仕事をしているように感じる。

 このたび上梓された『ピンチョンの「逆光」を読む──空間と時間、光と闇』。これも、作品とつながり、読者とつながり、必要な補助線をどのくらい引いていったらいいかということを瞬間的に把握しながら、上手に書き進められた本という印象。いや、単にテクニックの問題ではないはずだ。よほど頭が切れる人でないと、ピンチョンのテクストを仕分けて淀みなく語るという芸当はできない。

 京都大学術出版会刊の『トマス・ピンチョン──無政府主義者の宇宙』も完売と聞きましたが、『メイスン&ディクスン』まで各作品の、重すぎないガイドとして機能していたあの本、今回の本の弾みでもって、ガイドに徹してまとめ直したら、大いに日本のためになると思いましたよ。
 
 ともあれ、この本が現れたので、「ピンチョンは何から読むのがいい?」と問いに対してサトチョンとしては、「ファンになって、いろいろ読むつもりだったら『逆光』から読むといい」と、答えることにしようと思います。
 (とにかく1冊読んで体験しておきたい、というのならやっぱり『競売ナンバー』ですけどね)
posted by ys at 14:50| いただいた本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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