若い女の子にはない濃い魅力のある存在、それが、TSM
AKB全盛のいま、TSMは沈んでますけど、
そのむかし、渓流プールのあったTSM園と、暗い店内で真空管やコンデンサーを売っていたAKBとでは、輝きが全然違っていたのだ。
だから女の子は、20にもなれば、TSMの色香を振りまこうと背伸びしました。
48人数えられるかどうか別として、いっぱいいました。1969年ころ。
チヨでしょ、ゆかりでしょ、あゆみ、知子、佐知子、ジュンちゃんには黛と風吹がいて……
《雨に濡れた慕情》ちあきなおみ 1969
アメリカのふつうの売れ筋ポップスの傾向もソウルになって、それに無邪気に、日本の妖艶歌謡を乗せた「美しい誤解」のようなサウンドは、実は大正解だったのかも。
翌1970年の国民的ヒット歌謡、辺見マリのこの歌も、バックは、リズムこそおとなしめながら、いい味を出してますよね。
浅川マキ《夜が明けたら》1969
こちらはアングラを演じた。でも音楽的にそう違うわけじゃない。
ジャジーな4ビートに、ブルーノート、歌詞がちょっと、ブリジッド・フォンテーヌを思わせなくもない自由韻律なだけ。

レコードに乗った色気としての吐息。これが「アイドル」の時代になって消えていきます。「かわいい」がテレビ社会の平板な価値感覚を一手に担う、悪しきの時代がやってくる前の〈時〉に乾杯、はい、今日のラスト・ナンバー
欧陽菲菲《恋の追跡》(ラブ・チェイス)1972、アップしてくれた方、ありがとう。