僕の場合はAFS-15期。この夏、40年以上ぶりに、59歳から61歳までの同期の仲間が多数集まった。誰かがMLを組んだら、すごい量のメールが飛び交って。一気にそういう展開になったのだ。そして、いかにも昭和の子らしい「文集を作ろう」という話が出てきた。
「文集」といえば「ガリを切る」(ガリ版の上に原紙を置いて鉄筆でガリガリ書くこと)という言葉が出てきそうな世代の者が、でも、どうやって作るんだ? という話を始める。「まずブログを組むといいと思うよ」と僕が持ちかけ、みずから係となった。
というわけで、みんなの原稿をアップしていくうち(現リビア大使の西ヶ廣君もちゃんと投稿してきた)、封印していた僕の過去が溶け出してきたみたいで、僕ののめって書いてしまった。すでにネットにアップしたものだから、内緒にしてもしょうがない。一部をここにも乗っけます。
"Aki, get a date for Friday night. We're going to . . . " これが毎週、火曜日くらいになると降り掛かってきた宿題だった。最初は「もの珍しさ」も味方したのか、ガールズの反応は悪くなかった。でも、結局、僕にふりまくべきどんな魅力があっただろう――自分がアメリカナイズされている証拠がほしくて、戸口のキスをねだるような子に。それならむしろ、引っ込み思案の読書家みたいな方が、女の子から見てマシだったかもしれない。それでも僕は、体育会系少年の根性で毎週電話にしがみつき、エリアコードの違うフレージャー家の電話請求書の額を跳ね上げた。"Bob, you go out have your fun. I'll stay home and do my thing, OK?" ――これが言えなかった。そういう「知恵」は〈アメリカ〉からの「逃げ」のような気がしていた。不合理で、ちょっと破壊的でもあるけれど、熱気と葛藤に覆われたその不合理こそが青春なのだと、今は思える。
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