この学会は会員が300人ほどになっている。科目や講座の名前としては普通になってきた「表象文化論」も、それを名乗る学科は、そんなに増えていない。学生を惹きつけるには少し茫漠としていすぎるのが理由だろう。(首都大学東京大学院では「人文科学研究科」の専攻分野の一つに収めた。この説明を見ると、いかにも高山宏さん風だけど。http://www.hum.tmu.ac.jp/030.html)
僕は1990年に駒場の教員になったのだが、これは「表象文化論」で第1期生が修士に入学したのと一緒である。何が何だかよくわからないまま「表象文化論」に引っぱられ、「アメリカ科」から嘆かれた。そして両方の学科に「二枚看板」の授業を出しつつ、こんなんでいいのかあ、よくないなあ、という授業を例年やっていた(気持ちは、1,2年生の英語教育のデザインにのめっていた)。 そのうちに、大学院生の「指導教官」にもならなくてはならず、その資格もないと思うのだが、なぜか視覚・映像芸術系の研究者の卵を孵す職務を期待された(アメリカ文学系も2人ほど担当した。ポピュラー音楽系の学生は、留学生を別として大学院で指導したことはない。今年のサントリー学芸賞に輝いた大和田俊之さんが門戸を叩いたときも、たしか「表象に来るのはやめた方がいいよ」と返事をした憶えがある)。
大学を辞めて5年近くして振り返ると、僕と「表象」との関わりって何だったんだろうと不思議に思える。別に「表象文化論が自分の専門である」なんて考えたことは一度もない。
それでいて、現在も表象文化論学会の理事をやり、学術誌『表象』の編集までやっている。関わっている理由は明白で、要するに若い世代のとつながりを保っておくことで、自分自身を「学ぶ状態に保つ」ことをしていたいのである。
ここ2,3年、修士課程のころからよく付き合っていた人たちの著書が並ぶようになって、僕の「学び」は急激に充実してきたように思う。
たとえば大橋完太郎君。博論でディドロをやっているのは知っていたし、「盲人論」や「怪物論」のさわりも聞かせてもらったことがある。でも18世紀フランスの思想哲学に自分が口を出せるところはないと思っていた。だから送られてきた著書、定価6,500円の『ディドロの唯物論:群と変容の哲学』
のページをめくり出したときは驚いた。「こんなに読める文章じゃないか、しかも面白く読み進められる」。
文学論でも哲学論でも社会論でも、充分に広い視野に立って「内容勝負」を仕掛けてくる書物は、「専門」が何であれ面白く読めるということの見本のような本である。シンプルといってもいいほどの文が無駄なく整合的に繋がり、書かれている内容が鮮明に頭に入ってくる。これは少なくともディドロの英文テクストくらいは手元において、ちゃんと勉強しながら読みたいと思った。今すぐブログで紹介したいけど、それはフェアではないと。
だが、そのまま半年過ぎてしまった昨日、表象文化論学会・第6回研究発表集会で、このパネル を聴く機会に恵まれた。
パネリストの一人、國分功一郎さん(今年の話題書『スピノザの方法』の著者)が僕の感想を口にしてくれたのは愉快だった。読みながら、勉強したい気持ちが盛りあがってくる本だと彼は言った。
だがもう一人の田口卓臣さんという人が、國分さんをも凌ぐ冗舌を披露した。本郷の哲学を出て宇都宮大学に職を得た人だけれど、ストレートで豪快で、真情で哲学を語れる、目のきれいな38歳(今調べたら、この人は『ディドロ 限界の思考』で昨年の渋沢・クローデル賞特別賞をとっていた)。開口一番「この本を読んで、口惜しくて2晩寝られなかった」と言い放った。
『週刊読書人』(4月22日号)で大橋ブックを評したのがこの田口さんである。一部引用すると、
それにしても、なんという驚嘆すべき書物の登場だろう。読者はこの大著の頁をひとつひとつめくるたびに、異質な諸学問の混淆を企てるその論述方法が、いつしかディドロ自身の「化学的思考」とのびやかに共鳴しあうさまを見届けることになるはずだ。(……)真摯な思想史の問い直しが、思想それ自体の詩学となりうるということを、本書は身をもって示そうとするのだ。
こうやって引用しているだけなのも口惜しい。本当は自分の言葉で語りたいのだが、それを僕がやるとしたら、希望的にはまずサイバネティックスの思想(ラムダムネスの哲学)をもって精神の自然史を語った20世紀の啓蒙家ベイトソンの思想の系譜を過去に溯るところから始めることになるだろう。その上で、百科全書的小説家ピンチョンが18世紀的な語りに挑んだ『メイスン&ディクスン』と交わる地点を模索する、というのが自然のコースだ。そこに18世紀の百科全書派の思想が見出させるかどうか、それは分からないが、とにかくその種の準備を経ずに、 "大橋ディドロ" の論説空間に踏み込むのは不適切で勿体ないことに思える。だからここでは残念ながら話を逸らす、というか振り出しに戻すことにする。
振り出しというのはつまり、「表象文化論とは何か」という問いだ。東大駒場の学科(コース)案内には、こんなことが書かれている。
新たに創設された学問領域としての「表象文化論」は、単なる一ディシプリンであるにとどまらず、既存の諸分野にゆるやかに浸入し、浸透し、それらのメイン・プログラムを内側から書き換えて、まったく新たな知の光景を現出させる批判装置として機能することを夢見ている。それはまた、実証的な手続きを踏んだ堅実な論究と、大学の枠をはみ出して現実に直接働きかける実践の力学とを共存させ、そこでの葛藤とディレンマそのものを生産的な糧としつつ、今、21世紀の「知」の空間に向かって大きくはばたこうとしている。これは2000年に刊行された全6巻〈表象のディスクール〉の巻頭言からの引用である。編者は小林康夫+松浦寿輝。小林さんも50歳になって、制度の中心として大人の物言いはしているけれども、「侵入し、浸透し……書き換え……まったく新たな知の光景……夢見ている」あたりの言葉遣いは80年代ニュー・アカデミズム以来というか、おそらくは世紀初頭のモダニズムに溯るクリシェーだろう。
でも、空虚に若者の夢を煽るこの無責任が、(生真面目な研究志願者の人生設計を狂わせつつも)結果的に功を奏した、ともいえるのかもしれない。ディシプリンとしては今なお訳が分からない表象文化論も(そして学会も)、とにかく人材を吸い寄せる力は失っていない。その集まってきた人材が、局地的ながらケミカルな反応を生じさせていることが、こうやってポツポツと登場する処女作(と言ってはいけないのか今は)の数々から明かされる。
啓蒙の可能性にとって素敵なことに、ヒョーショーという集団は、その渦の中心にいる人間にも、何をするところかわかっていない。ただし視野の狭い学術研究は、いくらキチンとしたものであっても「表象的でない」という言い方はされる。動的なものを複眼的に見据える−−デカルトではなく、ディドローがやったことをなぞろうと務める。
つまり話は簡単なのだ。人文学が専門に分かれることには、単に戦略的な意味しかないのであって、門の中に閉じこもっていたら教養もヘッタクレもありはしない。文学哲学において、いわゆる専門的、棲み分け的なアプローチから生まれるのは民主主義の体裁をまとった官僚主義的低落である。質を下落させず、むしろ上昇させるためには、秀逸な人材を逸らさずに集めるため〈エクセレンス・センター〉のようなものが必要だ。人を集め、集まった人たちによる相互作用(ケミストリー)が、まずはそれぞれの専門的熟成をもたらすのを待つ。ベイトソニアンとして生物学の比喩で言えば、専門という殻は、生物の発生にとって必要不可欠なシェルターを提供するためのものであって、生命の営みは、外界とのインタラクションにこそある。文学哲学にあっては、専門の中で必要な器官を造成したら、外界を歩くことで筋肉を鍛え、外界をまさぐっていくようでなくてはならない。啓蒙の光は〈外〉からやってくるしかない。
文学部の再生のために必要なのは、哲学・歴史・文学から心理社会まで(それに〈メディア〉という現代の条件を加えた全体について)「もっと知りたい」という欲望を相互に喚起し続ける場と契機とをどうやって確保すべきか、という思考である。
駒場で教員をしていたころ、「表象文化論」というアイデンティティの希薄な、英語名もしっかりしていない(*)学科でふらふらしたせいもあって、お人好しの僕は、マージナルな何でも屋をこなしていて、みずから研究者としてはほとんど機能できずにいた。それでも振り返ってすごくスッキリした気持ちでいられるのは、そうしたフラフラの一環としていろんな観察や交流があったことだ。大橋君のような人たちが、ヒョーショーという動的で複合的なエクセレンスの場において、香ばしく発酵していくようすも観察できた。いや、当時は単にいいバイブを感じていただけで、その発酵がいかなるものだったのかは、この本を読み出すまで、よく知らなかった。なにより、この男についていったら、この先面白いことになるぞ、という気持ちを本気で抱けるのがいい。
表象文化論のサークルに受け入れてもらったことで得をしたという気持ちにようやくなれたことを告白するために、今日のエントリーを書いた、ということかもしれない。
(*)culture and representation course が発足時の正式登録名のはずなのだが、研究室の国際文書用封筒などには Department of Cultural Representations などと刷ってあったりするのです。どのみち世界に例を見ない学科名です。