サントリー学芸賞、芸術・文学部門、ダブル受賞。ポピュラー音楽学会のこの二人が独占してしまった。
大和田俊之『アメリカ音楽史――ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』
すぐれた感想文:http://m-riki.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f7e1.html
輪島裕介『創られた「日本の心」神話 ―― 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』
わかりやすい紹介:http://blogs.dion.ne.jp/morningrain/archives/9778678.html
まあ学芸といえば学芸だが、サントリーのこの賞は、一般読書人に通じる話芸を重視するところがあって、したがって、ポピュラー音楽研究の先行ランナー細川周一の『レコードの美学』(一九九〇)のような驚くべき学際性と思考レベルをもつ学術書は、なかなか引っ掛からない。さらにいうと、日本のまともなポピュラー音楽論者で、影響を受けていない者はいないだろう中村とうよう氏の、『大衆音楽の真実』(1986)を始めとする広範なlisten-and-think の活動も、三井徹氏のライフワークとも言うべき膨大な概説つき書誌リスト『新着洋書紹介 ポピュラー音楽文献5000冊』(2003)も、賞を得たという話は聞いていない。40年前から仰ぎ見ていたとうようさんには、終に会わずじまいだった。こんな無知のままで会っては恥ずかしい気がしていた。受けるかどうかは別として、紫綬褒章くらいには選ばれてほしい人だった。
おっと今日は、大和田君と輪島君におめでとうをいうために書き出したのである。
いや、ここまでが長かったのだ。学術の体制の中に、ジェイムス・ブラウンや藤圭子の名前が入るだけでもタイヘンだったのだ。
アメリカで、グリール・マーカスが『ミステリー・トレイン』という本を書いて、リトル・リチャードやプレスリーをアメリカ文化研究に枠内に結わえたのが1975年。
イギリス、ケンブリッジ大学を中心に「国際ポピュラー音楽学会」(International Association for the Study of Popular Muaic: IASPM )が結成され、その学術誌『Popular Music』が創刊されたのが1981年。
IASPMの中心メンバーの一人、三井徹氏を中心に〈日本ポピュラー音楽学会〉が結成され、最初の大会(準備会)が細川さんが助手をしていた芸大で開かれたのが1989年。
それから今年で足かけ23年である。
その間、日本の文化はロックやヒップホップを呼吸した人たちがどんどん活躍していた。学術世界だってそうだった。バンドをやり、コンピュータで音楽を作りながら、諸学を研究する院生や准教授はどこの大学にもゴロゴロいる。その中で、音楽教育、音楽産業論、民族音楽、社会学、文化研究、地域研究、文化人類学、美学、文学、などを専攻する人たちが寄り集まって、ジャーナリスティックな評論活動をしている方々も交えて組織しているのが JASPM(日本ポピュラー音楽学会)である。研究自体、不活発ではないし、会員数も300を超えている。決して少なくはない。
それでも大学の科目としてポピュラー音楽史は根付いていないし、学術社会でもジャーナリズムでも認知度は高くなかった。
そんななかで、二人の若い研究者の単行本デビュー作が、優れた〈学芸〉としてジャーナリスティックな認知を得た、というのが、今年、起きたことである。中村とうよう氏が命を断ったのと同じ年に、とあえて言う気はない。
審査委員を見ると、50年代生まれで音楽学を専攻している渡辺裕さん以外、年齢的に大丈夫かな、メディア・カルチャーの細部の話が通じるのは1965年にすでに当時の大学の、高尚文化青年の集まりに身を置いていた世代には無理じゃないかな、と思えたりもするけれども、それは問題ではない。どちらの本もスクッと立っている。とうようさんの本のように、あらかじめ思想で固めていない。思考が柔軟で、情報へのアクセスがよく、どんな読者にも開かれている−−という、現代の人文学の風通しのよさ、およびその意義は、どの選考委員に伝わっただろう。
(ここで五年前、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』にまつわる宮本大人の批判を紹介しましたが、その種の問題系は、いつかまた別の問題として考えることにします。Nov.18)
先日、大橋完太郎著『ディドロの唯物論』に関して、〈文学論でも哲学論でも社会論でも、充分に広い視野に立って「内容勝負」を仕掛けてくる書物は、「専門」が何であれ面白く読める〉、と書いた。専門に拘泥しないこと、というか、専門に根ざすことで、ある種の羽ばたき(横断性)を獲得するように思考することが、人文学(人間の全体ついての考察を深める学)では必要になる、ということでもある。
アメリカ文学出身の大和田俊之の学位論文は「メルヴィル」だったのだし、美学出身の輪島裕介の論文は「ブラジル音楽」についてのものだった。はじめての単行本で、この二人は、学位取得論文とは別のことを書いた。(それで思い出したのだが、エヘヘ、僕も『ラバーソウルの弾みかた』(1989)に、ピンチョンのことは書かなかった)
人文系と社会系の学際的領域であるポピュラー音楽研究の魅力は、流動性にある。音楽は固体ではない。音楽現象もすぐれて流動的である。音楽好きの人間が、自分の感覚に忠実に生きていくことで、研究テーマも、ミュージシャンの「作風」のように、自然と固まってくるものなのだろう。−−そんなことを、二人の受賞の挨拶を読みながら、サトチョンもまた考えた。
大和田俊之と輪島裕介による、受賞作についての述懐(ページ中央)
http://www.suntory.co.jp/news/2011/11244-3.html