2011年12月07日

日本の「電気」と「英語」のまかない方

ようやくだ。これだけのことがあって、これだけ晒し者にされてようやくだ。東電が、そのモノポリーの支配をあきらめた。他の発電事業者から電力を買うという。

その動きがはじまるまで、これだけの、独占企業者だけに許される優雅な怠惰ぶりが、(政府/専門家集団とつるんだ)非プロフェショナルな相互の甘やかしの実態が、暴かれなければならなかったのか。

原発の被害は誰の心にも染みる。

一方で、僕らが英語を学ばされ、官僚エリート/お抱え業者/実力なき専門家のたるみきったモノポリー事業ゆえに、英語のできなさを学んでしまい、そこからなかなか出られずにいる、その国家的被害の惨状は、英語をできなくされた国民の心には届かない。

なぜ日本の英語教育が機能しないか、その根本的な構図を、今回の東電の事故とパラレルに考えてみることは、解決策の模索のためにも、有用である。

根本的な問題はここだ:
サッカーでも音楽でも、技能教育は政府モノポリーの教育下では体裁しか整えられないもの。ところが「英語」という実技は、「国語」「数学」と並ぶ−−受験の重要度ではそれ以上の−−主要な「学科」にされてしまい、たくさんの時間を投入され、あまりにもひどい学習環境のなかで、生徒の頭が、文字通り fucked up されている。(多くの場合、先生がたの善意と努力にもかかわらず、学校を通して行われる授業は、全体として見た場合、英語習得に害をもたらしている)そうなると、大人になって、いくら英語を勉強し直そうとしても、なかなか心がうけつけない。そこにまた別の業者が、甘いセリフでつけこんできて、媚薬ビジネスを栄えさせる。

この事態をシステムとして作りだしているのが、一群の「権益を守られた人たち」の惰眠である。彼らがどれほど緊張感を欠いた中で、いかにたるんだモノポリー・ビジネスを展開してきたか、その現状と長い歴史の集積が分析されなくてはならない。英語教育を専門とする者は、みずからその権益にあずかることばかり考えないで、未来の日本を作る仕事にかからなくてはならない。

そして、その力のある個人や団体が英語教育を「自家発電」し、「すべて自前で発送電」の構えを崩していない文科省/専門家/お抱え業者の低品質のマネージメントを打ち崩していかなくてはならない、イェイ。
posted by ys at 11:01| Comment(0) | 教え直そう、日本の英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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