その動きがはじまるまで、これだけの、独占企業者だけに許される優雅な怠惰ぶりが、(政府/専門家集団とつるんだ)非プロフェショナルな相互の甘やかしの実態が、暴かれなければならなかったのか。
原発の被害は誰の心にも染みる。
一方で、僕らが英語を学ばされ、官僚エリート/お抱え業者/実力なき専門家のたるみきったモノポリー事業ゆえに、英語のできなさを学んでしまい、そこからなかなか出られずにいる、その国家的被害の惨状は、英語をできなくされた国民の心には届かない。
なぜ日本の英語教育が機能しないか、その根本的な構図を、今回の東電の事故とパラレルに考えてみることは、解決策の模索のためにも、有用である。
根本的な問題はここだ:
サッカーでも音楽でも、技能教育は政府モノポリーの教育下では体裁しか整えられないもの。ところが「英語」という実技は、「国語」「数学」と並ぶ−−受験の重要度ではそれ以上の−−主要な「学科」にされてしまい、たくさんの時間を投入され、あまりにもひどい学習環境のなかで、生徒の頭が、文字通り fucked up されている。(多くの場合、先生がたの善意と努力にもかかわらず、学校を通して行われる授業は、全体として見た場合、英語習得に害をもたらしている)そうなると、大人になって、いくら英語を勉強し直そうとしても、なかなか心がうけつけない。そこにまた別の業者が、甘いセリフでつけこんできて、媚薬ビジネスを栄えさせる。
この事態をシステムとして作りだしているのが、一群の「権益を守られた人たち」の惰眠である。彼らがどれほど緊張感を欠いた中で、いかにたるんだモノポリー・ビジネスを展開してきたか、その現状と長い歴史の集積が分析されなくてはならない。英語教育を専門とする者は、みずからその権益にあずかることばかり考えないで、未来の日本を作る仕事にかからなくてはならない。
そして、その力のある個人や団体が英語教育を「自家発電」し、「すべて自前で発送電」の構えを崩していない文科省/専門家/お抱え業者の低品質のマネージメントを打ち崩していかなくてはならない、イェイ。