今日はエイプリル・フールだけど、これからいうことは嘘じゃないんだぜ。あした、出発する。ブラジルに行くんだ。さようなら。
同じ年に出た僕の『ラバーソウルの弾みかた』の最初の文−−「実家の押し入れからとんでもないものが出てきた」−−と、ほとんど真逆だ。「ブラジル」対「実家の押し入れ」。「それからあと、どこでどうなるか、さっぱりわからない。さようなら」対「ハロー・ポップス、1966」。
今年管さんから僕に送れられてきたのは−−
1)その『コロンブスの犬』の河出文庫版(写真=港千尋、解説=古川日出男)
2)「Walking 歩行という体験」
ヒトは歩きながら自分を作ってきた。種としてのヒトがそうだったし、個人としてのぼくもそうだった−−という前書きで始まる、時の厚みと大地と生命でいっぱいの詩で、北海道の〈モエレ沼公園ガラスのピラミッド〉で行われた夏のイヴェントの刊行物。これがとても管々−−いえ、清々しい。
3)その詩と同じスピリットを、解説の言葉にした『野生哲学 アメリカインディアンに学ぶ』(講談社現代新書)小池桂一のマンガによる伝承物語つき
4)詩集の本としては、左右社から、昨年出た『Agend'Ars』 のパート2,『島の水、島の火』をいただいた。
ピンチョンの押し入れにとじこもっていた今年の僕は、これを通して、ああ、そうだ、空は一面の光なのだと、想像の中で同意した。
5)西原理恵子・絵、菅啓次郎訳の『星の王子様』というか『チビ王子』には笑った。

6)圧巻は、菅啓次郎・野崎歓 編『ろうそくの炎がささやく言葉』
最初に治めてられているのが、谷川俊太郎の「ろうそくがともされた」という詩です。
ろうそくがともされて
いまがむかしのよるにもどった
そよかぜはたちどまり
あおぞらはねむりこんでいる
グラフィック・デザインの凛とした構成を見るかのような言葉の配列。
執筆者の半分くらいとは面識がある。中村和恵さんの二篇、よかったよ。
来年もアウトゴーイングな管さんであることでしょう。真逆をいくつもりはないので、僕も少し、地球を動きましょうかね。