ゼロ学習 → 学習I → 学習 II → 学習 III
ベイトソンの思考した「学習」(learning)とは、人間(と動物と、時に機械)の変化(と一定性)についての階層的カテゴリーのことですが、ぼくも『精神の生態学』を学習し翻訳しながら、ああだ、こうだ、ずいぶん考えました。(拙著『ラバーソウルの弾みかた』で展開した「時の地層図」は、いうまでもなくベイトソンの論理階型論をしたじきにしています)
この本で、野村さんは、ぼく以上に、ああだこうだ考え、それだけでなく、その考えを本にまとめるために、ああだこうだ、トリッキーな工夫をしています。
探偵フィリップ・マーロウがサンセット・ブルバードの角を曲がると
ポンコツのマーキュリー・コンバーティブルに乗った「パパ」と「キャシー」がメタローグしているという始まり。
最後のほう、ベイトソンの死にまつわるいろんなエピソードも、聞きかじってはいましたが、あ、そうだったんだ、と直接知っている野村さんのこの本で教えてもらいました。
ベイトソン関係の書物、日本では増えていかないなかで──やりっぱなしにしている自分もわるい──キャジュアル&パーソナルなスタイルではあっても、貴重な思考の記録だと思います。
金剛出版ホームページ
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