2012年04月29日

大学教育の「FD」って知ってますか? 「SD」ってんもあるんですよ。

人間社会はある部分、簡略化を好むところがあるので、「実」が「名」によって置き換えられるというのはよく起こることだ。「有名無実」というフレーズがあるが、
有名大学に入学して与えられる教育に、こんなに実が無いのか、
という無念は、あたりまえすぎて誰も語りもしないニッポンの常識なのだった。

「教育する」を「教育したことにする」に置換し、その「楽」と「無責任」が、既得権として継承されてきた。
そしてその既得権を持つ人間が「偉い人間」として権力をふるってきた。その非民主的な構図は、21世紀の現在でも崩れてはいない。半期15回やれ、学生アンケートを実施せよ、という消費者の論理は組み込まれるようになったけれども、どちらの対処法も量や率の問題として教育を見ているだけ。現場の教師に拘束をかけるだけで、本質的な問題提起が始まったといえる状況にはない。

清水亮さん(三重中京大学現代法経学部で日米関係等を講じつつ、教育コミュニケーションのあり方に強い関心をもつ)がエンジンとなり、岡山大学の人気教育メソッド開発者、橋本勝さんらを巻き込みつつ、大学教育に「実」をとりもどす制度づくりをめざした人の輪が形成されつつあることを、京都市のナカニシヤ出版(編集担当・米谷龍幸さん)による2冊の書物が示してくれる。

『学生と変える大学教育──FDを楽しむという発想』清水・橋本・松本美奈編著、2009
『学生・職員と創る大学教育──大学を変えるFDとSDの発想』清水・橋本編、2012

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まるでハウツー本のようにして、大学教育の質的向上のティップス(ヒント)を掲げる本というのは、まだそのニーズが十分に開拓されていない。僕が『これが東大の授業ですか。』という本を、研究社の金子靖さんの編集で作ったのは2004年のことだったが、あの本は、どの棚に置くべきか、書店員さんを混乱させたようだった。

さて大学という「名」に教育の場としての「実」を注ぎ込むにはそのための能力の育成が図られなくてはならない。これをFD(faculty development)という。未だに大学の会議室以外では、あまり頻繁に使われない言葉のようだ。

その本質的な理由は、前述の「しない既得権」に基づく権力構造がしぶとく生き延びようとしていることに関係する。

そんな中で今回の企画では、三重中京大、岡山大の編者のほか、国際基督教大、立命館、同志社、関西大、亜細亜大、名城大、日本福祉大、早稲田、愛媛大、山形大、富山大、金沢大、大分大、和歌山大、名大、北大。東京外語大(留学生センター)の人たちが書いています。

詳しくはこちらを
http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=825&cid=14

ほとんど何の指導も受けずに教壇に立ち、学生たちと対面せざるを得ない若手教員にとっては、数少ない、実践的ガイド本のひとつだ。

なにより、人間と人間との関わりに関する率直な問いがボロボロ出てくるところがいい。──大学生たちは大学教育の研究の話に付き合わされる義務はあるのか、とか。

すでに多くの大学に「教育開発センター」というような名前の機構が活動しており、そこで尽力されている先生方からのオフィシャルな説明で埋められがちな企画ではあるわけで、この本にもそういう印象を与えるページがないとはいえない。

しかし、20章や 21章を読むと、("事務"と呼ばれている)職員が、教育環境の改善に果たす枢要な役割が顕在化されてきて、パースペクティヴを広げてくれる。

清水さんたちの仕事は、現実にまみれているだけに、理論本と違って「ぐんぐん突き進む興奮」みたいなものは得難い世界だが、これは持続するところ価値がある領域。さっそく「次」を期待させていただきます。
posted by ys at 11:58| Comment(0) | いただいた本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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