14日午前3時。空は雲に覆われている。
だが天頂や北の方には一部雲の切れ間が見える。
早起き老人は月と金星が現れる幸運を願って、散歩に出た。
「タカバシ(high bridge)」と呼ばれる、沖電気工場の前の、鉄道を下に見るオーバーパスは、小学校のとき、みんなで日の出の観察にきたところだ。自然にそちらに足が向いた。
午前3時28分、月の見えない円盤から金星が出てくるはずの時間も、雲は切れない。そればかりか雨粒が落ちてきた。
しょうがないなあ、次の機会は自分はもう死んでるしなあ、とトボトボ「橋」を降りて、高崎駅東口に近づいたとき、ふと首を右にまわしたら、うそ、見えてる。そこに雲の小さな切れ目があったのだ。金星も見えるぞ、と思ったのが1秒の半分ほど、すぐにそれは掻き消され、細い月も見る見る間に短くなって消えていった。見続けているとまた一瞬、ごく一部だけ現れて、今度は完全に消えた。雨粒がはっきりしてきて、僕は駅前東口のペデストリアン・デッキへ急いだ。
曇った夜空に1/2秒だけ現れた光は、幻影だったのだろうか。
死につつある自分の脳は、すでに天に反応して、気象を超えた知覚を得ることができるようになったのか?
でも、これでいいんだ。とてもクリアだった日蝕体験、それとは対照的にうすぼんやりした金星食の記憶を、いましばらく、この死すべき脳みそに蓄えていられる。うれしいじゃないか。