2011年12月29日

来年の抱負は豊富。(豆腐はふーふー)

『日本経済新聞』に「プロムナード」という随筆のコーナーがあって、2012年上半期の月曜担当がサトチョンになります。
(でも2日と9日は休日特別誌面で、16日からです。)

ちなみに他の曜日は

火)沖方丁
水)俵万智
木)木内昇
金)鎌田敏夫
土)栗田有紀

鎌田さん以外、若い若い。よし、ここは思い切り、昭和の記憶を跋渉[ルビ/プロムナード]させていただこうか。

ちなみに、月曜日、2010年は上半期を菅啓次郎さん、下半期を栩木伸明さんが担当しました。お友達リレーになりますか。

もう一つ、
英語教育の問題を、現状批判ではなく、こうすればいいのにという提言にまとめていきたいと思っていたらアルクの『イングリッシュ・ジャーナル』がページを割いていただけるそうです。3月発売の4月号から、「英語習得を阻害しない英語学習」(仮題)の、連載をやってみます。

『インヒアレント・ヴァイス』(4月刊行)の邦題決定は年越しですね。ピンチョンお得意の「愛すべきダメ男」 の系譜に属するドック・スポルテッロが私立探偵をやるという話。会話がいちいち可笑しく、情景描写がいちいちかっこよく、まるで60年代が終わっていないみたいは高揚を読者に与えてくれる本。ピンチョンにしてはごたついてなくて澄んでいるぶん、逆に濃度が高まったように感じられる特別な言語空間、この味わいをなんとか、日本語で出したいのじゃ。

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年越しでがんばりますね。来年もどうぞよろしく。
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2011年12月19日

壁と回路

サントリー学芸賞・受賞記念パーティ挨拶


2011年12月12日 東京會舘におけるサントリー学芸賞贈呈式のあと、二次会が、近くの「アリスアクアガーデン」という店で開かれました。その席で、乾杯の挨拶をしてくれと言われ、珍しく原稿を作っていったのですが、贈呈式のパーティで飲んでいるうちに、大和田君の受賞の言葉「僕はヒップホップなど黒人系の音楽を追いかけてきてよかったと思います。なぜなら彼らはいただけるものは全部いただくという思想で、白人ロッカーの、権威には中指をつきたてるってことをしないからです」に、コンチクショーと反応して、「どうせ俺たちはロックはカウンター・カルチャーだと信じたおめでたい世代だよ」と中指を突き立てたくなった。で、用意してあった原稿の、最後の「いましめ」のところだけを強調した、「くたばれ団塊、朽ち果てろラバーソウル」の挨拶になってしまったという次第。無駄になった原稿を、ここに掲載します。

〜〜〜〜〜〜〜

いきなりですけど、壁と回路の話をします。回路というのは、人間の中にも外にもあります。よく知られた2種類の回路を想定してみましょう。

まず、「感じる/音楽に反応する」こと(感覚的・無意識的・美的な領域)を「考える・表現する」という意識的な事柄に結び合わせる、脳内的な回路。「感受性」とか「センス」とかいわれたりするのがこれです。
二つめに、「考えたこと」を「世」に流通させていく社会的な回路。人の思考って、流通している言説の影響下にあるわけですよね。ポップスを語る言葉は、特にマスコミを巡るので、一元的な言説の制御を受けやすい。それに押しつぶされずに自分の思考を発信していくための回路づくりが必要になる。

大和田君、輪島君の二冊の本を見て、うらやましく思うことは、どちらの回路も根詰まりなく流れているさまが、見えてくるところです。

明らかに、世の中変わりました。

ポピュラー音楽に限っていっても、今年、象徴的には、中村とうようさんがなくなりました。そして『ミュージック・マガジン』や『レコード・コレクターズ』はいまも刊行が続けていますが、たとえば『アルテス』という、より流動的な視座を持って音楽を考えるための媒体が、生まれるに展開になっています。

 僕は大和田君の生まれた70年に大学生になり、輪島君の生まれた74年には−−レノン、ザッパ、サリンジャー、ケルアック、キージーなんて名前を並べながら−−卒論を書いていました。その時代に大きく被ったのが、たとえば、中村とうようさんの折れない、自分を曲げない意志のといったもの。同じ『ミュージックマガジン』という媒体で、後に5000冊の洋書紹介という、というとんでもない規模の業績にまとまっていく三井徹さんの、不動のスタンスにも畏怖の念を抱いてきました。

 こういう過去の巨人たち――と、もう言っちゃいましょうか──に、そうした不動の生き方を可能にした――あるいは強制した――ものとして、さっき言った二つの回路の「詰まり」があったわけです。回路のスムーズな流れを阻害する社会的・政治的体制です。

さまざまな壁があって、その中で権威権益が守られていて、その総合的な結果として、美空ひばりだとか、ジェイム・ブラウンだとかという名は、ニーチェやレヴィ・ストロースや夏目漱石とは同じ場所で扱わないという、言説の切り回しが機能していました。そうした時代に、壁に立ち向かうには、力が必要で、その力には自然と力みが伴ったのだろうと思います。

メディア文化が発達しながら、いまだ近代の知的階級制度が守られていた時代だからこそ存在した壁。それは今、崩れました。ほんとはずっと前から崩れてるんですが、そのことを、改めて追認するお祭りが、本日ミレニアムから数えて12年目の12月12日、大和田・輪島ご両人の受賞という形で執り行われているわけです

ご両人の本の成立プロセスをみても、物事がよく流れているようすが窺えます。まるで音楽みたいです。だいたい博論でやったことと違ってますよね。大和田さんは慶応経済→同志社のアメリカ研究→慶応の英米文学というルートでメルヴィルで博論を書いた。でも、巽孝之さんがいらしてる前で言うのもなんですが、メルヴィル研究者としては名前を残さないでしょう、きっと。

 で、この『アメリカ音楽史』という本も、ポピュラー音楽の授業をやってみたら、こういう本が必要になった――というので、教室という場でのインタラクションを軸に据えて書いていった。そういう本です。ツイッター世代の反応のよさ(リスポンシビリティ)が倫理として立っている。

 輪島さんの場合は、もう少し−−ニューアカ時代の流行の言葉でいうなら−−パラノです。もともとアフリカや中南米の音楽に関心をもち、その関心を、東大の美学で、サンバという音楽がブラジル国民音楽として政治的に作り上げられていく過程をあぶりだす論文にまとめた、と聞いています。その研究のなかで鍛えられた見方、思考パターンを、日本のポピュラー音楽に向けてみたら、演歌というものを通して、同様の「ニッポンの心」というものの神話がデッチ上げられている。そういう発見があった。それを文献的・音源的にきちんと調べた、そういう仕事をされたわけです。

 そのような、自らの軸を固めていく研究姿勢は、僕のような固着型の人間には共感するところが多いんですが、しかしやはり、IT革命以降の時代に成長してきた彼をとりまく研究環境は、うらやましいほと違っています。で、結果的に、インスティテュートの中で博論として評価された書き物とは別の本で、こういう大賞を受賞してしまった。それだけじゃなく、輪島さんの文章を読んでいると、面白いのは、そのスタイル。文章を書きながら漫談的につぶやいちゃう部分。演芸的な文体とプロデゥース感覚を持っている。それが今後どう花開いていくのかという点にも注目したい。

 誰でもいうことですが、YouTube や Ustream の時代です。音楽だけじゃなく、研究も、学会の討論も、流れるように動き始めた中で、これからの時代、学術的説得力というものが、どのように形を変えていくのか、楽しみにしていようと思います。



最後にひとつ、ちょっと有頂天になっている自分自身を戒めるために言い添えておきたいと思います。

 今回の受賞は、あたらしい時代の始まりを告げるものというよりは。50年前ほど前から徐々に徐々に進行してきた、パックス・アメリカーナへの日本の文化的適応、その最終段階をかざるものだという気がしてなりません。

 ぶっちゃけた話、今回起きたことは、団塊の世代の審査員が、団塊ジュニア世代の書物を、その音楽へのアプローチにおいて評価し、権威づけたという出来事です。これが2010年初頭におきた。ブーマー世代が60歳になって行ったこと。

 ここに至る出来事は、日本文化のさまざまな局面・領域で過去50年続いてきたわけです。最初は田代みどりのような可愛い小学生歌手が、8ビートの歌を上手に歌うというあたりから始まった。雪村いづみがグルーブを摑めなかったロック時代のポップスを、まず最初に再現できたのは伊東ゆかりや弘田三枝子を含む団塊世代でした。

 この世代+弟妹たちが20歳を越えたあたりから矢沢永吉、大滝詠一、吉田拓郎、井上陽水らをトップランナーに、日本の歌の身体を変えていくような音楽創造が始まりました。それから数年、ジミ・ヘンドリックスやヴェルヴェッツのサウンドにについて書き浸った村上龍の小説が芥川賞とったり、ジャズやポップスに親しんでいるがゆえの文体をもつ春樹さんの仕事に世界が共振していくということが起こり、音楽→文学→思想→教育(これはまだかな、90年代に僕も新風を起こそうとはしたんですけどね)とブーマー世代が年を重ね、注目と権勢を得ていく過程で、われわれのテイストにそうような「刷新」がいろんなところで起こったわけです。(アメリカでは、90年代を、サックスの息遣いでしゃべれる大統領が治めましたね。)その最後の仕上げてとして、60代になった団塊世代の学術賞選考委員が、ポップス研究を特別に取り上げて微笑んだ、というのが、正直なところだと思うんです。ご両人の本が受賞にふわさしい内容を持つことは熟知しているつもりですが、その上で、今回のダブル受賞には、与える側のパフォーマンスも働いただろうと。演歌とブラックミュージックが、今日の「進んだ」60代の学者に特別に輝くのであれば、Let it shine. その順風に乗って世の中を動かしていけばいいわけですよ。

 ともあれ、時はめぐり、世代は交替します。大和田君や輪島君が、現代の学生の前に、偉い先生として現れて、カタコト歌謡やヒップホップについて教えるという時代がやってきた。もうこれからは団塊ジュニア世代におまかせ、その世代が自らのタームで、パクス・アメリカーナ以降の、不確定な時代を照らしていってほしいと、かように思う次第であります。以上。乾杯。
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2011年12月02日

今年の「ポピュラー音楽学会」年次大会は大阪市立大です。

JASPM23 は、12月10日と11日の週末です。
会場=大阪市立大学:大阪市住吉区杉本3-3-138



12月10日(土)
13:15〜16:30
シンポジウム 法学部棟3F 730教室(非会員の方も、シンポジウムだけなら1000円の参加費で聞くことができます)

『危機の音楽/音楽の危機? −「災後」社会の音楽とメディア』
基調講演:津田大介(ジャーナリストもしくはメディア・アクティビスト)
「現在の音楽ビジネスとソーシャルメディア・社会」
パネリスト:津田大介
      毛利嘉孝(東京藝術大学)
      森彰一郎(プロジェクトFUKUSHIMA!)
      小川博司(関西大学)
司会   :安田昌弘(京都精華大学)



日曜日の研究発表やワークショップなど、詳しくは
JASPM23 第23回日本ポピュラー音楽学会年次大会の公式サイトをごらんください。
http://jaspm23.wiki.fc2.com/



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2011年11月17日

サントリー学芸賞でやっと認知されたか、ポピュラー音楽研究

 いやあ、びっくらこいだ。何日たっても愉快、愉快。

 サントリー学芸賞、芸術・文学部門、ダブル受賞。ポピュラー音楽学会のこの二人が独占してしまった。

 大和田俊之『アメリカ音楽史――ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』
   すぐれた感想文:http://m-riki.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f7e1.html
 輪島裕介『創られた「日本の心」神話   ――   「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』
   わかりやすい紹介:http://blogs.dion.ne.jp/morningrain/archives/9778678.html

 まあ学芸といえば学芸だが、サントリーのこの賞は、一般読書人に通じる話芸を重視するところがあって、したがって、ポピュラー音楽研究の先行ランナー細川周一の『レコードの美学』(一九九〇)のような驚くべき学際性と思考レベルをもつ学術書は、なかなか引っ掛からない。さらにいうと、日本のまともなポピュラー音楽論者で、影響を受けていない者はいないだろう中村とうよう氏の、『大衆音楽の真実』(1986)を始めとする広範なlisten-and-think の活動も、三井徹氏のライフワークとも言うべき膨大な概説つき書誌リスト『新着洋書紹介 ポピュラー音楽文献5000冊』(2003)も、賞を得たという話は聞いていない。40年前から仰ぎ見ていたとうようさんには、終に会わずじまいだった。こんな無知のままで会っては恥ずかしい気がしていた。受けるかどうかは別として、紫綬褒章くらいには選ばれてほしい人だった。

 おっと今日は、大和田君と輪島君におめでとうをいうために書き出したのである。
 いや、ここまでが長かったのだ。学術の体制の中に、ジェイムス・ブラウンや藤圭子の名前が入るだけでもタイヘンだったのだ。
 アメリカで、グリール・マーカスが『ミステリー・トレイン』という本を書いて、リトル・リチャードやプレスリーをアメリカ文化研究に枠内に結わえたのが1975年。
 イギリス、ケンブリッジ大学を中心に「国際ポピュラー音楽学会」(International Association for the Study of Popular Muaic: IASPM )が結成され、その学術誌『Popular Music』が創刊されたのが1981年。
 IASPMの中心メンバーの一人、三井徹氏を中心に〈日本ポピュラー音楽学会〉が結成され、最初の大会(準備会)が細川さんが助手をしていた芸大で開かれたのが1989年。
 それから今年で足かけ23年である。
 その間、日本の文化はロックやヒップホップを呼吸した人たちがどんどん活躍していた。学術世界だってそうだった。バンドをやり、コンピュータで音楽を作りながら、諸学を研究する院生や准教授はどこの大学にもゴロゴロいる。その中で、音楽教育、音楽産業論、民族音楽、社会学、文化研究、地域研究、文化人類学、美学、文学、などを専攻する人たちが寄り集まって、ジャーナリスティックな評論活動をしている方々も交えて組織しているのが JASPM(日本ポピュラー音楽学会)である。研究自体、不活発ではないし、会員数も300を超えている。決して少なくはない。

 それでも大学の科目としてポピュラー音楽史は根付いていないし、学術社会でもジャーナリズムでも認知度は高くなかった。

 そんななかで、二人の若い研究者の単行本デビュー作が、優れた〈学芸〉としてジャーナリスティックな認知を得た、というのが、今年、起きたことである。中村とうよう氏が命を断ったのと同じ年に、とあえて言う気はない。

 審査委員を見ると、50年代生まれで音楽学を専攻している渡辺裕さん以外、年齢的に大丈夫かな、メディア・カルチャーの細部の話が通じるのは1965年にすでに当時の大学の、高尚文化青年の集まりに身を置いていた世代には無理じゃないかな、と思えたりもするけれども、それは問題ではない。どちらの本もスクッと立っている。とうようさんの本のように、あらかじめ思想で固めていない。思考が柔軟で、情報へのアクセスがよく、どんな読者にも開かれている−−という、現代の人文学の風通しのよさ、およびその意義は、どの選考委員に伝わっただろう。

(ここで五年前、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』にまつわる宮本大人の批判を紹介しましたが、その種の問題系は、いつかまた別の問題として考えることにします。Nov.18)

 先日、大橋完太郎著『ディドロの唯物論』に関して、〈文学論でも哲学論でも社会論でも、充分に広い視野に立って「内容勝負」を仕掛けてくる書物は、「専門」が何であれ面白く読める〉、と書いた。専門に拘泥しないこと、というか、専門に根ざすことで、ある種の羽ばたき(横断性)を獲得するように思考することが、人文学(人間の全体ついての考察を深める学)では必要になる、ということでもある。

 アメリカ文学出身の大和田俊之の学位論文は「メルヴィル」だったのだし、美学出身の輪島裕介の論文は「ブラジル音楽」についてのものだった。はじめての単行本で、この二人は、学位取得論文とは別のことを書いた。(それで思い出したのだが、エヘヘ、僕も『ラバーソウルの弾みかた』(1989)に、ピンチョンのことは書かなかった)

 人文系と社会系の学際的領域であるポピュラー音楽研究の魅力は、流動性にある。音楽は固体ではない。音楽現象もすぐれて流動的である。音楽好きの人間が、自分の感覚に忠実に生きていくことで、研究テーマも、ミュージシャンの「作風」のように、自然と固まってくるものなのだろう。−−そんなことを、二人の受賞の挨拶を読みながら、サトチョンもまた考えた。

大和田俊之と輪島裕介による、受賞作についての述懐(ページ中央)
http://www.suntory.co.jp/news/2011/11244-3.html
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2011年10月27日

おぎやはぎ サトチョン

NHKに岡澤さんというディレクターがいまして、おぎやはぎと("リズム万作"ではなく)佐藤先生でやる「ぬるい英会話」という番組を企画しました。もう、けっこう前のことで、デモ制作もしたんですが、今のところ、日の目を見るに至っていません。

がんばらない。ハキハキしない。構文などで縛らない。そんな、それなりに役に立つ企画で、おぎやはぎのコントをベースにします。

練習するフレーズは、たとえば
Let's not.
はいどうぞ

Let's not.

そうそう、気の抜けた、尻下がりの調子がいいんですね。

さて、いま岡澤さんは大阪放送局にいて、このたび大阪で制作している「西方笑土 踊るカマドウマの夜」のワンシーンに、デモ撮影したワンシーンを組み込んでくれました。これ、ドラマの中で主人公がテレビを見る、その枠の中で、芸人さんが次々コントを披露する
☆コント☆ 「踊るカマドウマの夜」
独特の世界観を持つ「コント師」たちが、「クセのあるこだわりのネタ」を魅せてくれます。芸人たちのとがったコントと、シュールなドラマが同時進行する、新しいスタイルの番組です。


ってことは、サトチョンも芸人デビューですか? いえいえ、ただのぬるい先生です。

BSプレミアム 11月15日(火)午後6時、放映予定、始まるとわりとすぐ出て、消えますので……。
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2011年10月17日

『らりるれレノン』が絶版になります。

『らりるれレノン』の仕掛け人、筑摩書房の井口かおりさんから
絶版になりますとの連絡を受け、出版社のところに残った12冊を買い上げました。

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別名「らりるレノン」。レノンがラリった英語で綴るストーリーと詩とパロディ。原題 A Spaniard in the Works.
                               → プロモーション・インタビュー・ビデオ

思潮社『メイドのおいど』(これも井口さんだった)と共に、僕にとって愛おしい本です。

ジョン・レノンだし、英語版にはないカラフルなジョンの挿絵付きだし、
そのデザインを担当したのが祖父江慎さんだし、
絶版後、古書の値が上がったりするとバカらしいなと思って、急遽ご連絡さしあげました。



主な収録作品
スペイン男のもだえ   A Spaniard in the Works
ひらーき姫とひちにぎりのコビーボたち    Snore White and Some Several Dwarts
アン・ダフィールド嬢のけっな経験    The Singularge Experience of Miss Anne Duffield
へにゃりんな ふくろっぱな   The Faulty Bagnose
忘れてなるまい英国総勃起    We Must Not Forget the General Erection
ワンバー・ロッグ(魔法のワンコ) The Wumberlog (or The Magic Dog)
読者のお便    Reader's Lettuce
アラミンタ・ディッチ    Araminta Ditch
ノータラリンのノーマン君   Silly Norman
遺言状   Last Will and Testicle
父の家出    Our Dad
信心アワー    I Believe, Boot....

原文の英語も、小さい文字ながら全文ついてますから、訳文を見て、こんなことをジョンが書くもんかと思う方も、ご自分でチェックできます。

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2011年10月06日

バーンスタインの《アメリカ》の謎を解く。

 古い話になりましたが、和洋女子大の9月の合宿(佐倉セミナーハウス)に、9月14日、日帰りですが、参加してきました。
 合宿学習のテーマが「West Side Story」。英語とリズムのテーマについての講演依頼−−でしたけれども、これは実技でいくのがいいと睨んだ私は、(以前に私の学生だった)作曲家/ピアノ奏者の久保田翠さんに co-performer をお願いして、"America" と "Tonight" を歌いまくってきました。

 暑い日でしたが、ユーカリが丘のキャンパスの植生は、ミシシッピー州のように思え、楽しくて、歌が歌えて、喜ばれて、謝礼もあって、いいことだらけでした。

"America" とは、ご存知、これですが、
 ンタタ ンタタ ンタンタンタ
のリズムが続く、メロディラインがスペイン語アクセントできている、でも歌いやすいという、バーンスタインの快作です。リズム譜を見ると

Alternating_time_signatures2.gif


たしかにそうなんですけど。でもこの曲、サントラ盤を聞くと、一番最初("Puert Rico . . . "に先立ち、被さる部分)に、「ソン・クラヴェ」のリズムが入っています。



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かつこれに、
246885g-1.jpg

12拍のンビラ(アフリカン・フィンガーピアノ)のような音が被さります。こんな感じ。この両者が4:6というのか8:6というのか、とにかく タンタン対タタタの 対応で張り付きます。

これ何なんだろう、と考えました。なぜ「アメリカ」の冒頭に、「ルンバ」の拍子木の原形である「ソン・クラヴェ」のリズムが入り、おまけにそれに、(マイルズ・デイヴィスが『Kind of Blue』(1959)−−同時代!−−の冒頭でベースを使ってやっているみたいな)ンビラっぱい音をコンフリクトさせてくっつけるんだ?

この謎を、《アメリカ》という曲の内部から解いていくことはできないだろうか。

そう、踊りが激しくなったとき。 だんだん、頭打ちの強いビートが現れてきて、

http://www.youtube.com/watch?v=Qy6wo2wpT2k

これの6分25秒でついに Go Go Go Go が炸裂する。
タタタの頭で Go  もひとつタタタの頭で Go
タンタンタンの 頭で Go 次は タンタンタンの3をど真ん中で割る Go

そうです。この4拍でビートをとると、《America》は、黒人音楽になる。3連符x2+二拍三連という構造になるんです。

ブルーズのグルーヴがラテンからきたという仮説があります。
1955年のロックンロールの始まりに、ボー・ディドリーがソン・クラヴェをリズムをやっていたのも有名。
http://www.youtube.com/watch?v=ewwe89dtEyE&feature=related

この感覚をバーンスタインは2と3の衝突という形で巧妙に整理して、西洋音楽しか聞かない人の身体に落とした。
これはスゴイ。

しくみを説明しましょう。

ソン・クラヴェの譜に戻って、2小節めの4部休符ふたつをカットし、縮めます。

    タン・タ・・タン|(ウン)タンタン(ウン))
    タン・タ・・タン|タンタン

となりますね。これはイコール

タン・タ・・|タンタンタン

タタタタタタ|タンタンタン


 ハハー、こういう計算の上になっていたのか。
 これが分かったのは、和洋女子大で、みんなで歌う講義ができたことのお陰です。
 佐久間みかよ先生はじめファカルティのみなさま、もちろんピアノを叩きまくった久保田さんにも、お世話になりました!


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2011年09月10日

ピチカート・ファイブ論にコメント

詳しくはこちらを


成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:近代「日本」の表象形成と環太平洋の地政学
2011年度第1回研究会

2011年9月22日(木)16:00〜17:30  成蹊大学3号館101教室

「仏作って、魂(ソウル)を探す。」:「日本の音楽」の代表としてのピチカート・ファイヴにおける作者、文化、日本の表象
講師:源中由記(東京藝術大学)/
コメンテイター:佐藤良明


同日、引き続き開催

科学研究費・基盤研究(B) 「モンロー・ドクトリンの行為遂行的効果と21世紀グローバリズムの未来」
2011年度第1回研究会:

ブラジルにおける「国民的大衆音楽」の形成と変容

日時:2011年9月22日(木)18:30〜20:30
場所:成蹊大学3号館101教室

1930年代から現在に至るまで、大衆音楽はブラジルにおける国民統合の象徴として機能してきた。その端緒をなす、アフロ系混血文化であるサンバの国家的真正性獲得は、混血によって人種差別が克服されるとする「人種民主主義」の神話と不可分に結びついている。人種民主主義はフランツ・ボアズの文化相対主義の変奏ともいえ、またサンバの社会的威信の上昇においては、ディズニーのアニメやハリウッドにおけるカルメン・ミランダのイメージが大きな役割を果たしていた。つまり、大衆音楽を通じた国民統合は、合衆国のツールを用いて可能になったともいえる。他方、70年代以降、国家の支配的イデオロギーとなった人種民主主義や国民性論に対抗する文化運動が、ファンク、ヒップホップといった、合衆国の黒人音楽のスタイルを用いて起こっている。本発表では、ブラジル大衆音楽における「国民的なるもの」をめぐる実践的・言説的交渉の諸相を、特に合衆国との関係に着目しながら概観する。

講師:輪島裕介(大阪大学)
コメンテイター:大和田俊之(慶應義塾大学)

参加希望者はこちらを参照 http://md.shimokobe.net/archives/111
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2011年07月14日

「週間ブックレビュー」で、松浦寿輝を。

NHK BSプレミアム
7月30日(土)の朝6時半、8月1日(日)の深夜26時15分、もう一度、金曜日のお昼時に再放送があります。

http://www.nhk.or.jp/book/next/next.html

私の一押しは、松浦寿輝の最新小説『不可能』

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この人の「感想文」にうたれます。レイティングに賛同してしまいました。自分で一推しにしておいて、論評不可能じゃないかと思い始めた。
http://ameblo.jp/saikuroido/entry-10861290491.html

紹介するあと2冊は−−
『侍とキリスト』
『ヴァンパイアハンター・リンカーン』
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2011年06月20日

「週刊朝日」は明日発売です。

明日発売される『週間朝日』の「週間図書館」のコラム「忘れられない一冊」を書きました。
けっきょく私が読むことなく育った1965年の話題の本を古本屋で発見して、啓示の光に包まれるというお話しです。

僕のコアに、なぜ演歌とピンチョンが同時並存するのだろう──という謎がそのとき解けました。

このごろ、自分の青春時代(昭和40年代はじめ)の言説研究が盛んになって、いろいろ言い当てられていることも、自己発見の背景にあるのだと思います。

その種の一冊、このブログでも絶賛された輪島裕介『創られた〈日本の心〉神話』の書評会が大阪であって、この週末出かけてきました。
JASPM(日本ポピュラー音楽学会)の関西例会ということで、研究活動委員長の安田昌弘さんががんばって「ユーストリーム」でブロードキャストする試みも行いました。

学会を、就職をちらつかせる権威と平伏の場にせずに、研究者と業界の人、素人愛好者が楽しく集まる会へと開いていく、そんな輪がぐんぐん広がっていくといいな、と思います。

posted by ys at 13:19| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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