サントリー学芸賞・受賞記念パーティ挨拶2011年12月12日 東京會舘におけるサントリー学芸賞贈呈式のあと、二次会が、近くの「アリスアクアガーデン」という店で開かれました。その席で、乾杯の挨拶をしてくれと言われ、珍しく原稿を作っていったのですが、贈呈式のパーティで飲んでいるうちに、大和田君の受賞の言葉「僕はヒップホップなど黒人系の音楽を追いかけてきてよかったと思います。なぜなら彼らはいただけるものは全部いただくという思想で、白人ロッカーの、権威には中指をつきたてるってことをしないからです」に、コンチクショーと反応して、「どうせ俺たちはロックはカウンター・カルチャーだと信じたおめでたい世代だよ」と中指を突き立てたくなった。で、用意してあった原稿の、最後の「いましめ」のところだけを強調した、「くたばれ団塊、朽ち果てろラバーソウル」の挨拶になってしまったという次第。無駄になった原稿を、ここに掲載します。
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いきなりですけど、壁と回路の話をします。回路というのは、人間の中にも外にもあります。よく知られた2種類の回路を想定してみましょう。
まず、「感じる/音楽に反応する」こと(感覚的・無意識的・美的な領域)を「考える・表現する」という意識的な事柄に結び合わせる、脳内的な回路。「感受性」とか「センス」とかいわれたりするのがこれです。
二つめに、「考えたこと」を「世」に流通させていく社会的な回路。人の思考って、流通している言説の影響下にあるわけですよね。ポップスを語る言葉は、特にマスコミを巡るので、一元的な言説の制御を受けやすい。それに押しつぶされずに自分の思考を発信していくための回路づくりが必要になる。
大和田君、輪島君の二冊の本を見て、うらやましく思うことは、どちらの回路も根詰まりなく流れているさまが、見えてくるところです。
明らかに、世の中変わりました。
ポピュラー音楽に限っていっても、今年、象徴的には、中村とうようさんがなくなりました。そして『ミュージック・マガジン』や『レコード・コレクターズ』はいまも刊行が続けていますが、たとえば
『アルテス』という、より流動的な視座を持って音楽を考えるための媒体が、生まれるに展開になっています。
僕は大和田君の生まれた70年に大学生になり、輪島君の生まれた74年には−−レノン、ザッパ、サリンジャー、ケルアック、キージーなんて名前を並べながら−−卒論を書いていました。その時代に大きく被ったのが、たとえば、中村とうようさんの折れない、自分を曲げない意志のといったもの。同じ『ミュージックマガジン』という媒体で、後に5000冊の洋書紹介という、というとんでもない規模の業績にまとまっていく三井徹さんの、不動のスタンスにも畏怖の念を抱いてきました。
こういう過去の巨人たち――と、もう言っちゃいましょうか──に、そうした不動の生き方を可能にした――あるいは強制した――ものとして、さっき言った二つの回路の「詰まり」があったわけです。回路のスムーズな流れを阻害する社会的・政治的体制です。
さまざまな壁があって、その中で権威権益が守られていて、その総合的な結果として、美空ひばりだとか、ジェイム・ブラウンだとかという名は、ニーチェやレヴィ・ストロースや夏目漱石とは同じ場所で扱わないという、言説の切り回しが機能していました。そうした時代に、壁に立ち向かうには、力が必要で、その力には自然と力みが伴ったのだろうと思います。
メディア文化が発達しながら、いまだ近代の知的階級制度が守られていた時代だからこそ存在した壁。それは今、崩れました。ほんとはずっと前から崩れてるんですが、そのことを、改めて追認するお祭りが、本日ミレニアムから数えて12年目の12月12日、大和田・輪島ご両人の受賞という形で執り行われているわけです
ご両人の本の成立プロセスをみても、物事がよく流れているようすが窺えます。まるで音楽みたいです。だいたい博論でやったことと違ってますよね。大和田さんは慶応経済→同志社のアメリカ研究→慶応の英米文学というルートでメルヴィルで博論を書いた。でも、巽孝之さんがいらしてる前で言うのもなんですが、メルヴィル研究者としては名前を残さないでしょう、きっと。
で、この『アメリカ音楽史』という本も、ポピュラー音楽の授業をやってみたら、こういう本が必要になった――というので、教室という場でのインタラクションを軸に据えて書いていった。そういう本です。ツイッター世代の反応のよさ(リスポンシビリティ)が倫理として立っている。
輪島さんの場合は、もう少し−−ニューアカ時代の流行の言葉でいうなら−−パラノです。もともとアフリカや中南米の音楽に関心をもち、その関心を、東大の美学で、サンバという音楽がブラジル国民音楽として政治的に作り上げられていく過程をあぶりだす論文にまとめた、と聞いています。その研究のなかで鍛えられた見方、思考パターンを、日本のポピュラー音楽に向けてみたら、演歌というものを通して、同様の「ニッポンの心」というものの神話がデッチ上げられている。そういう発見があった。それを文献的・音源的にきちんと調べた、そういう仕事をされたわけです。
そのような、自らの軸を固めていく研究姿勢は、僕のような固着型の人間には共感するところが多いんですが、しかしやはり、IT革命以降の時代に成長してきた彼をとりまく研究環境は、うらやましいほと違っています。で、結果的に、インスティテュートの中で博論として評価された書き物とは別の本で、こういう大賞を受賞してしまった。それだけじゃなく、輪島さんの文章を読んでいると、面白いのは、そのスタイル。文章を書きながら漫談的につぶやいちゃう部分。演芸的な文体とプロデゥース感覚を持っている。それが今後どう花開いていくのかという点にも注目したい。
誰でもいうことですが、YouTube や Ustream の時代です。音楽だけじゃなく、研究も、学会の討論も、流れるように動き始めた中で、これからの時代、学術的説得力というものが、どのように形を変えていくのか、楽しみにしていようと思います。
最後にひとつ、ちょっと有頂天になっている自分自身を戒めるために言い添えておきたいと思います。
今回の受賞は、あたらしい時代の始まりを告げるものというよりは。50年前ほど前から徐々に徐々に進行してきた、パックス・アメリカーナへの日本の文化的適応、その最終段階をかざるものだという気がしてなりません。
ぶっちゃけた話、今回起きたことは、団塊の世代の審査員が、団塊ジュニア世代の書物を、その音楽へのアプローチにおいて評価し、権威づけたという出来事です。これが2010年初頭におきた。ブーマー世代が60歳になって行ったこと。
ここに至る出来事は、日本文化のさまざまな局面・領域で過去50年続いてきたわけです。最初は田代みどりのような可愛い小学生歌手が、8ビートの歌を上手に歌うというあたりから始まった。雪村いづみがグルーブを摑めなかったロック時代のポップスを、まず最初に再現できたのは伊東ゆかりや弘田三枝子を含む団塊世代でした。
この世代+弟妹たちが20歳を越えたあたりから矢沢永吉、大滝詠一、吉田拓郎、井上陽水らをトップランナーに、日本の歌の身体を変えていくような音楽創造が始まりました。それから数年、ジミ・ヘンドリックスやヴェルヴェッツのサウンドにについて書き浸った村上龍の小説が芥川賞とったり、ジャズやポップスに親しんでいるがゆえの文体をもつ春樹さんの仕事に世界が共振していくということが起こり、音楽→文学→思想→教育(これはまだかな、90年代に僕も新風を起こそうとはしたんですけどね)とブーマー世代が年を重ね、注目と権勢を得ていく過程で、われわれのテイストにそうような「刷新」がいろんなところで起こったわけです。(アメリカでは、90年代を、サックスの息遣いでしゃべれる大統領が治めましたね。)その最後の仕上げてとして、60代になった団塊世代の学術賞選考委員が、ポップス研究を特別に取り上げて微笑んだ、というのが、正直なところだと思うんです。ご両人の本が受賞にふわさしい内容を持つことは熟知しているつもりですが、その上で、今回のダブル受賞には、与える側のパフォーマンスも働いただろうと。演歌とブラックミュージックが、今日の「進んだ」60代の学者に特別に輝くのであれば、Let it shine. その順風に乗って世の中を動かしていけばいいわけですよ。
ともあれ、時はめぐり、世代は交替します。大和田君や輪島君が、現代の学生の前に、偉い先生として現れて、カタコト歌謡やヒップホップについて教えるという時代がやってきた。もうこれからは団塊ジュニア世代におまかせ、その世代が自らのタームで、パクス・アメリカーナ以降の、不確定な時代を照らしていってほしいと、かように思う次第であります。以上。乾杯。