演題は、「ビートルズから見た世界史」(だったっけか)。『ビートルズとは何だったか』(みすず書房、2006)の映像・音声つきバージョン。マックの Keynote というプレゼンソフトは動画の扱いが快適です。
「翠巒会館」という昔に比べればずいぶん立派な講堂があるのだけど、マイク以外スピーカーもなく、藤倉校長(わたしの同級生)に自宅からアンプとスピーカーを運んでもらいました。〔音響、教育にとって重要でしょう!)
「ヒューマン・サイエンス」というのは、文系向けの特講クラス、というより、定期的な講演会等で通じてやる気のある生徒を刺激する仕組みで、その数十人を相手にするのかと思ったら、一年生全員も、お客さんになっていた。
その高校生を相手に、「理解」というものは、「区分け」や「解剖」によって得られるものと、ワイドズーム的な「引き」から得られるものと二種類あるといって、過去二百年の世界史を一望し、あたかも「産業革命」(とそれにつづくコロニアリズム)とメディア革命(とそれに続くポスコロ体制)だけが重要だったかのような図式にまとめ、1960年代という一大移行期の、自分が高校生だった特別な時代の出来事としてのビートルズを示してみました。
ワイドな思考を鍛えるにはどうしたらいいか、という気持のいい質問がきました。メタファーをうまく乗りこなすのはたしかに訓練が必要だから、詩や一流の小説を読んだり、文系だ理系だと自分を区別せず、幾何学や物理学の勉強をするといいんじゃないか、という答えておいたけど、ちと本質的すぎたかな . . .
夕方ラジオ高崎「Air Place」の収録、つい高崎高校がテーマになり、10年後輩の Boøwy の曲なんかかけてしまったぞな。氷室も布袋も、じつは山田かまちも、〔藤倉校長と同じ)倉賀野中学の同級生だったんだよね。