
(5月2日改稿)
大和田俊之よりさらに若い文化地理学者・森正人が書いた新書本も──内容的には大衆/高尚の二分法を脱却していながら──タイトルは『
大衆音楽史』だった。
四半世紀前に中村とうようが書いた本のタイトルが、もし『
大衆音楽の真実』でなくて『音楽の真実』だったら、どれほどエクストラな刺激を与えてくれたことだろう。
『アメリカ音楽史』、このタイトルがいい。音楽にそもそも「大衆」も「高尚」もない。というか、かつて嗜好の階層が存在した時代に「大衆」と呼ばれ、資本家によって操作されやすい「音楽的うすのろ」と思われていた人たちこそが、いま、真剣に論じるに足る音楽を進化させてきた。だからもう「差別」の表現としても「自尊」の表現としても、「大衆」という形容はやめよう。モーツァルトをふくめてもいい、僕らの心をさらってきた音楽のすべてを包括的に見ることこそが、文化ついてのまともな思考を可能にするのだ。
音楽は感じるもの、カッコいいものであって、考えるものじゃないという反知性主義の伝統があった。それはもう死につつあるけれども、音楽について考えることがどれほど気持ちいいか、カッコいいか、それは教育されないとなかなかわからない。
音楽を言葉で語ることは、ディープでホーリーなものを、浅薄な理屈でねじ曲げることではなく、むしろすぐにイデオロギーの手に掠われてしまいやすい無垢なるものを、知性のかぎり抱き留めて救い出す冒険的な行為なのだ。
さて、講談社メチエの装幀にくるまっているこの本も、文章は素直で控えめながら、内容的に充分大胆だ。それを知っていただくために試験をしたい。以下は、本書から抜き出した一節。A,B二人のアーティスト名を当ててくだされ。
a.( A )は現在もっとも過小評価されている音楽家のひとりである。(中略)中世ヨーロッパにまでさかのぼるバラッドの伝統と、アフリカや南米大陸経由でもたらされた黒人文化の系譜。この二つの文化の融合を象徴するのが( A )であり、彼が背負うことになった音楽史/文化史の重みに比べれば、ビートルズやローリング・ストーンズは少しばかり音楽的センスに恵まれた青年たちにすぎない。
b. ( B )はリズムの先鋭化とともに徐々にコード進行を最小限に抑えるようになった。(中略)西洋クラシック音楽を基礎づける機能和声を回避し、なるべくコード展開させずに新たなインプロヴィゼーションの手法を編み出したマイルス・デイヴィスのモード奏法が「西洋からの解放」を暗示する点については先に論じたとおりである。その意味でも、マイルスと同様に公民権運動を背景にした一九六〇年代の( B )の試みは、リズム&ブルースのモード化だったといえるかもしれない。
同じ教養でも、こういう教養は、世の中をよりよく(正しく、美味しく)生きる糧になる、と思う。──正解は一番下に。
講談社のサイトには、各章の副題が出ていない。それでは内容がわかりにくいので紀伊国屋のサイトから目次をコピペしてみた。(出版元への不満をもう一つ述べれば、この本の価値の半分は巻末のビブリオにあるのだから、英語がちゃんと横書きで読めるように、かつ、あらゆる世代が虫眼鏡なしで読めるような大きさのフォントで、レイアウトしてほしかった)
第1章 黒と白の弁証法──擬装するミンストレル・ショウ
第2章 憂鬱の正統性──ブルースの発掘
第3章 アメリカーナの政治学──ヒルビリー/カントリー・ミュージック
第4章 規格の創造性──ティンパン・アレーと都市音楽の黎明
第5章 音楽のデモクラシ──スウィング・ジャズの速度
第6章 歴史の不可能性―ジャズのモダニズム
第7章 若者の誕生──リズム&ブルースとロックンロール
第8章 空間性と匿名性──ロック/ポップスのサウンド・デザイン
第9章 プラネタリー・トランスヴェスティズム──ソウル/ファンクのフューチャリズム
第10章 音楽の標本化とポストモダニズム──ディスコ、パンク、ヒップホップ
第11章 ヒスパニック・インヴェイジョン──アメリカ音楽のラテン化
それぞれの内容をコメントしたくなってくるが、それを始めると日が暮れてしまう。
とにかくこの目次を授業のシラバスとして想像してみる。これにイントロ、ゲスト講師のトーク、ちょっとした実技の回などをはさんだ半期15週の授業を、ぼくもやってみたい。文学・文化・芸術を名乗る学科にとって、これは基本的、かつ(まだまだ)斬新な授業のタネとなるだろう。
本書で強調されるのは「擬装」という概念で、表紙をみても、目次を見ても、それが主にブラック/ホワイトをめぐるものだということがわかる。
ここ、すごく重要だ。オバマ大統領がさえない姿を晒すようになって、人種感覚に奥手な日本人にも、やっと「黒人も同じだ」という実感が訪れてきたかのような今日この頃、ジャズ、ブルース、ロック、ヒップホップをめぐる〈言説〉が僕ら日本人まで無分別なカッコヨサの夢へと引きずり込んできた、現代イメージ文化のしくみについて考えることは、とても重要だ。
正解 A. Elvis Presley B. James Brown