2014年07月13日
『重力の虹』新訳は索引つき
2014年07月01日
続・進行状況
高崎市役所から、「平成26年度市民税に関するお知らせ」というのが郵送されてきました。
何かと思ったら、税金がゼロの低収入者に、臨時福祉給付金をくれるのだそうです。
妻は小躍りして喜んでいますが(偉いなあ、ふつうは亭主をなじるだろう)、私は苦笑するしかありません。
ほんと『重力』に深入りするばかりで、収入をあげることを考えていませんでした。
なんか、まだ身体も頭もふつうに動くのに、市民の税金から1万円受けとるの、申し訳ない気がします。
原作が、交換価値の経済を前提とした仕事じゃないから、こういうことになるんでしょう。それにしても1966年の途中から刊行の73年まで、難解は二冊の小説の印税(出版元はリピンコット、マイナーです)だけで、やれていたんだとしたら、すごいぜ。
しかし訳者は、「すごいぜ」と言っていられても、日本の出版社にとって、こういう小説を引きうけのは、きついことこの上ないわけで。だって優秀な社員の時間が、ごっそりとられてしまうわけです。
実は四月に人事異動があって、担当のKさん(辣腕マネージャー、メラニー・ジャクソン氏とかけあって「全小説」企画を可能にした本人です)は、週刊誌の部局に回ってしまいました。彼はそれを私に伝えませんでした。担当を続ける以上、事情は同じだというメッセージとして私はそれを、敬意をもって受け止め、基本的に休日しか仕事にかかれない状況であっても「容赦」はしていません。
『重力の虹』は、アメリカの文学研究者の間で「3度読むと分かる」という言い方が、よくされていました。文化的、時代的に異質である日本の若い読者はどうなのか。「2度目の読みでぐんぐん面白く入っていける」訳文を目指すには、何が必要か。
訳文と註の他に、索引が必要だろうとサトチョンは考えました。こんな感じです。読みながら、「あれ、この人が〜をしていたのは、どの話だったっ?」という疑問が必ず読者に浮かび、それの答えを得ることが、この小説を楽しむ上では必須なのです。少し訳者の介入が増えますが、索引で「説明」してしまわないように、言葉を詰めて、このくらいの感じで進めていますので、ご安心下さい。
マカ=マフィック、オリヴァー・タンティヴィ=F勤務先 37-38; スロースロップの恐怖 44-52; モンテカルロで 344-, 「イングリッシャマンはとてもシャイ」346, ビーチで 350-56, 361-69[ーのバラッド, 363-64]; 消失 387; 死亡記事 481; 帰還の夢 下311-12; 下376
ギスレーヌ、フランソワ、イヴォンヌ カジノのダンサー:347-53, 356-58, 368, 388
ワックスウィング、ブロートヘット 470; ズートスーツ 474-75; “伝説” 558; フォン・ゲールと 729; オズビーと 下441
エンツィアン大佐 砂漠の少年期 195-96; ヘレロ族の副官 291; 走る汽車の上で 547; ラケーテンシュタットの展示 564; 説話集 596; “ングアロレルエ” 599, 土豚穴にて 603-622; チチェーリンとの関係 627, 640, 661, 665; ロケット回収/スロースロップと 682-88; チチェーリンの想念 下10-12; ペーネミュンデ 下35-36, ヴァイスマンと決裂 下76-77, 下83; アハトファーデンの審問 下129-31; 石油工場へ 下247-61 [理解の光 下250-54] ; カッチェと 515-525; 移動の旅 545-46, 647-67 [クリスチャンと 653-56, オンビンディと661-62];「ンバ=カイエレ」下334, 下666
これを全キャラでなくても、百数十人くらいやれば、十分かと思われます。
さて、新潮社のPR誌『波』の前号に「7月刊行」と出たそうですが、その理由は、私は知りません。たぶんK氏が超多忙で、コミュニケーションに行き違いが生じたのでしょう。初稿を返す時点で私は、「学生さんが夏休みに入るころまでには」と想像して書きましたが、その時点で「異動」の現実を、十分に想像することはできませんでした。
校閲のTさんも、圧倒的な仕事をされているようです。世界に「入ってしまう」私としては、その種の整理は大苦手で、支えられ、感謝のみです。読者のみなさんの熱い反応にも対してもです。
なんとか思い通りのレベルにします。もう少し、patience, please.
2014年06月14日
彩流社『トマス・ピンチョン』
木原善彦さま
公開礼状という形で失礼します。
お贈りいただいた『トマス・ピンチョン』、本日届き、ほぼ読了しました。
ご存じかもしれません。この企画、三浦玲一さんからメールで誘われましたが、にべなくお断りしました。
それが三浦氏への最後の言葉になってしまったのを心苦しく思っていました。
氏の冥福をお祈りするとともに、その後を引っぱっていただいたご苦労に感謝します。
参加を遠慮したのは『重力』に専念すべき時期だった以外に、以下の理由からです――
「作家ガイド」というのは、どうしてもコンパクトな記述を要求されるため、書き手の「論」が先行してしまう。
アカデミズムはそれでいいのですが、私のように、大学をやめ、スロータイムでリアルなピンチョンを表現するチャンスを与えられているものが、わざわざ飛び込む企画でもないように思えました。自分で用意した筋書きにピンチョンを押し込めるのは難しいです。巽さんのように、その筋書き自体が、キラキラと読ませるものであれば、それもいいんですけどね。
いや、不満ではなくて、
このガイドが、作家と作品への敬意にあふれた、優れた「ガイド」を含んでいることへの賛同の気持ちを表したかった。以下、3篇について。
麻生さんの講じる「歴史的メタフィクションとしての『メイスン&ディクスン』」。プロの研究者にこういっては失礼ですが、たいへんよく調べられているものを読む快感があります。アメリカ大陸に線を引くことの意味も、直感的に感じられるわけですが、それを丹念に文脈化してまとめておられる。ウィリアム・ピンチョンへの言及によって実際の歴史の細部を響かせる――そういうことを端折らずやっているところに労作ばかりを書くピンチョンへの「敬愛」が感じられると。
木原さんご自身の「ピンチョン節とは何か?」は、そう断っておられますが、以前に発表した例示を含み、それを膨らませた論ですね。
ピンチョンの英語の特徴を、スッキリと解説した文章で、僕にこういう、読者への親切な対し方は、たぶんできません。
造語を例に、ピンチョンの、言葉への attitude を例示しつつ、それを積み重ねて、最後に「作品のテーマ」と「文体的な仕掛け」とが呼応している点を見せる手際に、うなりました。
文構造を突きやぶるのではなく、文法の枠内で、ちょっとした仕掛けを設けて、ラディカルに可笑しい表現をものにしていく、『ヴァインランド』以降の「ピンチョン節」を、うまく整理されていると思います。僕に協力できる点があるとすれば、それは、『重力の虹』の、あるいはそれ以前の、シュルレアリスティックというかサイケデリックというか、後期とは異なる文章への、アナキスティックな態度を説明し、その混沌を通して、後期のより柔軟な規則性の発現を語るというところでしょうか(論文を書くつもりはありませんけどね)。
石割さんの「探求と電球−−「見ること」の変態」。『Lot 49』と『Gravity’s Rainbow』の対比づける視覚論、これも見事な構成。その変態が、実際、どのように作家自身の脱皮と絡むのかという点については、いまひとつ強力な検証がほしかったという感想はありますが、とにかく、自分の用意した形式のなかで、ふたつの小説が正確に語られている。小説のわくわくするところが、読者の共感を得るかたちで、ちゃんと治められている。さわやかに納得させられました。
ピンチョンは、正面から、巧く論じるのに、長い時間を必要とする作家です。
アメリカ文学史・批評史の一般的な知識と結びつける論考も、限られたシーンから持論を膨らませる論考もあっていいし、卒論を書こうとする学生の役には立つと思いますが、
一歩、制度から離れてみますと、ピンチョンテクスト自体が、論文生産のための技術を超えた、ある種より真剣なつきあいを要求するところがありますね。22歳で、アカデミズムから逃走し、ずっとインディペンデントでやってきた作家としての厚みに、その原因があるのだろうと、改めて感じます。
なお、『ブリーディング・エッジ』ですが、新潮社のKさんの後輩の、僕もよく知っているSさんを担当編集者として、『LAヴァイス』のペア(栩木+佐藤)で訳すとことになりました。『重力の虹』を含め、できあがったら、忌憚なく批評してください。
本日は、突然に失礼しました。12月に大阪大学へ集中講義に行くのを楽しみにしています。
サトチョン
2014年05月25日
40年前:『重力の虹』の全米図書賞授賞式がまぶしい。
昨日5月24日は、Gravity’s Rainbow の正式な出版日、41年前のこの日に、760ページのハードカバー版が、アメリカの書店に並んびました(実際は、もっと早かったのでしょうけど)。
73年5月というと、僕は東京で、進学したばかりの英文科で、ラルフ・エリソンの Invisible Man を読んでいたかも。
1974年4月の全米図書賞授賞式(@リンカーン・センターのアリス・タリー・ホール)で、受賞者を発表したのはそのエリソンでした。選考委員会は割れたらしく、賞金を折半して、ピンチョンとは対照的な、ユダヤの語り部、アイザック・シンガーとが同時受賞するという決着になったようです。
このビデオの2分27秒から、エリソンの紹介スピーチが始まります。
Ralph Ellison's introduction:
The jury has determined to divide the prize between two writers. To Thomas Pynchon, for GRAVITY'S RAINBOW which bridges the gap between the two cultures and puts the world of manipulation and paranoia within the perspectives of history. To Isaac Bashevis Singer for A CROWN OF FEATHERS and a life-time of distinguished work revealing a skeptical, philosophical and mischievous obses- sion with human and demonic character. I present this not to Mr. Singer, but to Mr. Pynchon.
[訳]審査委員会は、賞を二人の作家に分与する決定を下しました。トマス・ピンチョンの『重力の虹』、ふたつの文化をギャップを埋め、権力の操作とパラノイアの世界を歴史的パースペクティブの中に捉えた功績に対して。それとアイザック・バシェヴィス・シンガーの『羽の冠』――人間的かつ魔物的キャクターへの懐疑的、哲学的そして悪戯心に満ちたオブセッションを展開する、氏の長年の優れた著作に対して。私がプリゼントするのは、シンガー氏でなくピンチョン氏であります。
次、2分59秒から、 “コーリー教授”による代理受賞演説。「However……」で始めるのは、”Foremost Authority” という異名をとるこの芸人の、癖というか、ルーティンであります。ピンチョンをパイソンと間違えているのは、英語だと視覚的に似てるからかな。ソルジェニーツィンも、ソルジニツキーと言い換えていますね。
However...I accept this financial stipulation–ah–stipend in behalf of Richard Python for the great contribution which to quote from some of the missiles which he has contributed... Today we must all be aware that protocol takes precedence over procedure. However you say–WHAT THE–what does this mean...in relation to the tabulation whereby we must once again realize that the great fiction story is now being rehearsed before our very eyes, in the Nixon administration...indicating that only an American writer can receive...the award for fiction, unlike Solzinitski whose fiction does not hold water.
[訳]しかしながら、私はこのファイナンシャル・スティピュレ−ション(財産条項)じゃなくてスタイペンド(支給金)を、リチャード・パイソン氏に代わってお受けします。その偉大な功績は、彼が寄与したミサイルのいくつかを引用すれば・・・今日我々はプロトコル(形式)がプロシージャー(進行)より優先されることに注意を払わなくてはならない。しかしながら、あなたがたは言う、何だ、どういう意味だと・・・図表化に関しては、それによってわれわれは、理解を新たにすべきであるということだ、すなわち偉大なるフィクションが、いままさに、我々の眼前でリハーサルされているのだと。現ニクソン政権においてだ。それが示すのは、アメリカの作家だけが賞を受けられるということ。ソルジニツキーの場合は違って、彼のフィクションは筋が通りません。
スタイルとボキャブラリーは壮大で教授風であって、何か大きな問題に触れそうで、でもズッこける……。それでもちゃんと、ピンチョンが言いたそうなことをメッセージにくるんでいるのは、出演料500ドルを払って、彼にスピーチを依頼したヴァイキング社のギンズバーグ(Guinzburg)という担当編集者の智慧入れでしょうか。
ここから長い省略があって(当日の舞台では、演説の最中に、スッパダカの男が壇上を駆け抜けたんだそうですよ――そうそう、ストリーキングが流行ってた)、ビデオは演説の最後に飛びます。感謝の献辞は、ブレジネフとキッシンジャーと、トルーマン・カポーティでした。キッシンジャーには「大統領役を演じてくれて」という理由つき。
ビデオの最初の方(0:39)で、”コーリー教授 " は『重力の虹』の冒頭を朗読しています。続いて出てくるのは、批評家のジョージ・プリンプトン。この日の式典に参加していました。編集者ギンズバーグのこともよく知っているようです。
『重力の虹』をめぐる伝説。何度も語られた古ネタですが、おおらかな悪戯心が「制度」をオチョくっていた時代を想像するのも、ピンチョンの作品に親しむには、よろしいかもしれません。
2014年04月16日
ピンチョン版:フォーエバー・ヤング
本日のピンチョン@
(今日の元気を『重力の虹』からいただこう)
魔女っこゲリーが、恋するチチャーリンを憎しみによる決闘から守りたくて、でも自分の魔術が未熟なので、年寄りの魔女に相談します。年寄りの魔女がこたえます。
“But you are in love. Technique is just a substitute for when you get older.”
「でもあんたは恋をしてるだろ。「うで」なんてものは、年をとったもんが使う代用品さ」
“Why not stay in love always?”
「いつまでも恋していればいいのに」
(Gravity’s Rainbow, p. 717 of the original 760 page-long version)
2014年04月13日
進行状況
『重力の虹』の出版予定ですが、昨年11月に全巻入稿、校閲を経た初稿返しわずかな残りと、註の完成バージョンが今週お返しできるので−−まだ編集サイドの作業量は非常に多いですし、とにかくハードルの高い作品ですし「解説」も相当がんばらないといけないのですが−−学生さんが夏休みに入るころまでには、おっ!と驚く装幀で書店さんに並んでいるだろうと、想像しています。出版社に代わって、私が「想像」以上のことを言うことができないのはご了承ください。訳者だけでなく、本作りにたずさわるすべての方々にとって、圧倒的に重量のある相手なのでね。
ロケット工学の歴史に関しては、ピンチョンは、ボーイング社にいたころ(20代半ば)から資料を漁っていたのでしょう。開発の過程を、弾道学、電磁気学、流体力学、電波での制御、さまざまな角度から学んでおかないと、これだけの意気込みで書かれた本書を正しく訳すことはできません。でも、それらは背景であって、〈ロケット〉は文明史的な意味ともに、超越的でオカルト的な意味も担う。物語内では、戦間期ドイツの浪漫主義文芸に心を染めたナチス将校の手で、特別な一機が打ち上げられ、その打ち上げに、生者と死者、神話的なシンボリック・フィギュアが絡んでくる。
探偵小説好きのピンチョンですから、話の筋を隠す癖があるんですよ。いつも背後に陰謀が、または陰謀幻想=パラノイアがある。だから二百ページとか前にさらっと書いてあったりしたことが解釈に響くんです。
しかし訳者の脳内RAMは、それだけの情報を全部詰め込んでおけるほど大きくないわけですよ。校正で読み返すたびに新しいつながりが見えて、そうすると前も後ろも訳し変える、みたいなことの連続でした。
読者への容赦がなかった30歳代のピンチョンですから、ギリシャ神話やドイツ北欧系の神話だけでなく、ユダヤ神秘主義、魔術的世界観、キリスト教神学とその歴史の知識が繰り出されますし、薬学に裏打ちされたドラッグの知識も、ドラッグの視点を文学に引きこむ意気込みも、並大抵ではありません。映画、オペラ、コミック、戯れ歌が濃密なのもいつも通り。一方では微積、確率統計、有機化学史、実験心理学、建築、服飾……、の用語が飛び交います。はい、調べ物、楽しかったです。それももうじきタイムアップじゃ。
校閲担当の方には頭が上がりません。長期間つきっきりでミスを拾い続けていただいている気がしています。索引や地図や図版で、担当の方には、まだまだお世話になります。とにかくピンチョンの一番すごいところを、完全にとはいえなくても、日本語で体験できる訳文になったことは確かかな、と。大変長らくお待たせしました。もう少しでございます!
2014年01月22日
〈上巻〉だけのゲラ返し
2013年09月30日
『重力の虹』の進行報告
気がつけば9月が終わります。
『重力の虹』お待たせしています。
ブログなど書いている時間があったら、一パラグラフでも先に進もうと考えていましたが、お約束の季節になって、挨拶にまいりました。(キャジュアルな発言の場をもっているのが、どうも訳者だけのようなので)
で、マラソンに換算すると、42.195キロの40キロ付近をただいま通過中です。
とはいえ、一日進めるのは、だいたい150メートルくらいがいいところ。
遊んでるみたいで恐縮ですが、このマラソンの比喩、なかなかうまくできていて、この小説は全部で30500行くらいあって、42195メートルをこれで割ると、138センチ。だいたい一行が歩のストライドになります。しかしこの一行に、10とか13とかいう数の単語があって、それがつくるフレーズは飛び越しちゃいけない、掘り返し、植え直しでいかなくちゃならない。そうするとやっぱり、138センチを、亀のスピードで歩く感じになります。早いときで蛇か、ゴキブリ。
たとえばけさやったところに、こういう行がありました。
In her pack, Geli Tripping brings along a few of Tchitcherine's toenail clippings, a graying hair, a piece of bedsheet with a trace of his sperm, all tied in a white silk kerchief, next to a bit of Adam and Eve root and a loaf of bread baked from wheat she has rolled naked in and ground against the sun.
(最後から4つめのエピソードの冒頭。ペンギン版、p. 717)
本文で4行、長さ5メートルほどの文ですが、魔女見習いの少女ゲリーの包みの中身について書いてある。toenail は足の爪、graying hair は白髪交じりの髪(おっと、髪とは限らない、この文脈では体毛のイメージかも), spermは精液で、それがシーツにこびりついているところを切り取って、それらを包んだ白い絹のハンカチをキュッを結んだ。
何のために?
小説の筋がわかっていると、ピンとくる。333ページで退場してから、400ページ近く(ときどき記憶で言及される以外)ごぶさただった Geli なので、忘れてしまう読者もいるかもしれないですが、本書を愉しむためには、この魅力的な魔女っこゲリちゃんのことを憶えていないといけません。終戦のため会えなくなったチチェーリンを引き戻す魔法に、けなげに勤しんでいるシーンです。その細部を、ピンチョンがきちんと調べて書いているんだというところを見落とさなければ間違えない。
愛の魔法のお道具は、「アダムとイブの根」。なにか呪力がありそうな名前だが、調べてみると、これは「アプレクトルム・ヒエマレ」という以外に和名のないラン科の植物。その根はしばしば男や女の形に見えるからこの名がついたのだろう。この魔術には「愛のケーキ」も必要ならしく、その手順は、まず脱穀前の小麦の中を裸で転がる。それから籾殻を落とし、粉にして、焼いてパンにする。臼で挽くときは太陽が回る方向と逆(againt the sun=反時計回り)にする。
この訳で大丈夫か、ネットでウラをとるわけです。"ground again the sun" で検索すると、たとえばこういうページがヒットします。
http://www.northvegr.org/secondary%20sources/mythology/grimms%20teutonic%20mythology/03410.html
このなかに
Love-drinks have love-cakes to keep them company. Burchard describes how women, after rolling naked in wheat, took it to the mill, had it ground against the sun (ON. andsœlis, inverso ordine), and then baked it into bread.
という記述があって、ああ、ピンチョンは、ここから(グリム兄弟の兄ヤーコプの長大な民話神話研究 Teutonic Mythologyの 英訳から)知識を収奪したんだな、と推測できるわけです。20年前の国書訳では──まあインターネットもない時代でしたが──こういうこだわりの細部が、掘り返されてないんですね。旧訳の第4部が「すごく前衛的で、なんだかよくわからない」という印象があったとしたら、それは「裸になるのが彼女か小麦か」のレベルで挫折したり、粉を挽くのも魔術のうちであるという点に意識が及ばなかったりしているためです。
この小説は、複雑ですが、理路は整然としています。ふつう「理路」とは言わない論理の道筋までついています。あ、それをパラノイアというんでしたね。
2013年01月21日
センター試験 2013
2013年の英語問題についてまず1点だけ。
◎一部に、おや、「梯子英語」が戻ってきたぞ、という印象が
「ハシゴ英語」と僕が呼ぶのは、「飲み歩く英語」ではなく(笑)、教室で学習途上者に差しだす、日本語と日本文化に足のついた英語です。屋根に登ってしまえばハシゴは不要になるけれども、途上者の役には立つ。学習者にやさしい「ハシゴ英語」を、試験問題に使うのは、だからメリットはあるんですね。でも、英語を飲み歩いている人間からすると、あれ? って思うところもあるんですな。
第2問A
問9 When my younger brother and I were children, my mother often asked me to keep an eye on him so he wouldn’t get lost.
誤答選択肢:away from, back from, in time with
これは children から純真な子供をイメージできればいいんですが、僕は一瞬、ワルガキの兄貴に、「弟の道を踏み誤らせるな」と懇願する母親をイメージしてしまいました。(そうすると、away from が正解になってしまいますね。)
問8 I don’t enjoy going to Tokyo. It’s hard for me to put up with all the crowds.
誤答選択肢:away, on, up to
英語としても問題としても問題ないですが、I don't enjoy と It's hard を逆にするともっと英語らしくなりませんかね。
It's hard for me to go to Tokyo now. I don't enjoy the crowds. みたいに?
問2 Of the seven people here now, one is from China, three are from the US, and the others from France.
誤答選択肢:other, others, the other
「文法項目の知識」を試すのには悪くないのですが、英語として一番自然な単語を選択肢に入れるのが学習促進的、というルールからすれば、the rest を正解になった方がいいと思いました。それと、文章というものは、どんなに短くても、ある程度状況が見える方がいいわけで、その点、ひと工夫あっていいかな、と。
Of the group of people who lined up in the hall, some were from China, others from the US, and the rest were all from France.
どうしてこの三国なのか、依然わかんないですけど。それ言い出すとジジイっぽくなるのでやめときましょう。いや、全体的には、ここ数年、とても洗練されてきていると思いますよ。
2012年08月25日
「キーウィ佐藤のポップス進化論」は本日放送です。
今年になって、内容紹介がぜんぜんできていませんでしたが、〈ラジオ高崎〉にて「キーウィ佐藤」の名で毎週15分、かれこれ4年近くDJをやってきました。
このブログに並ぶ内容を、テレビマン・ユニオンの市川プロデューサーが面白がり、NHK相手に働きかけて下さった結果、とりあえず二回だけ、〈キーウィ佐藤のポップス進化論〉、放送が決まりました。
NHKラジオ第1。本日8月25日と、来週土曜(9月1日)の夜8時5分です。くわしくは、番組ホームページをごらんください。
http://www.nhk.or.jp/radiosp/kiwi/
「らじるらじる」