2012年04月21日

『表象06』が発売になります。

刷り上がった『表象06』が月曜社さんより届き、会費を納めた会員への発送をきのう終えました。

一学会誌でありながら、日本の人文学のこれからを担う「キラ星」の論文を集めた『表象』には、本物の刺激があることを請け合います。

森村泰昌氏をフィーチャーしての、ペルソナ論特集にももちろん力が入っておりますが、

実は本号の白眉は、会員の近著に、充実の執筆陣がじっくりと評する「書評」のページにあるのではないかと、編集人としては考えている次第。

いずれにせよ、以下の目次をごらんくだされ。(解像度の悪いときは画像をダブルクリックして見てください。)

こちら、月曜社さんのブログです。

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ピンチョン氏出演、『LAヴァイス』プロモ・ビデオ

『LAヴァイス』の原著出版時(2009年)に、ペンギン・プレスはプロモを作り、ピンチョン自身がナレーターを務めました。

そのビデオが、たとえば pynchonwiki.com のページ で見られます。

 → これをクリック

ロスのサウス・ビーチの昔ながらの風景が絶妙に編集されていて。
バックのエレキは、いわゆる「サーファデリック・サウンド」というやつですか。

以下、ナレーションを訳してみました。



 LA国際空港から車で南へおりていくと、好みのタバコを一本吸い終わる頃にはもう、ここ、カリフォルニア州ゴルディータ・ビーチってところに到着してる。いや、実際ここが本当にビーチだったのは昔のことで、その後は、ハイライズ(高層)、ハイレント(高家賃)、ハイ・テンションの場所になった。

 でも今1970年に、ここはただ「ハイ」なだけだった。流通しているメキシコ産の安物のクサが10ドルせずに手に入ったし。もちろん種と茎だらけのやつだけどね。

 ここに住んでたのは、だいたいがサーファーか、ドーパー(ヤク吸い)か、スチュワーデス──[複数形は]正式にはスチュワーダイと言うんだって──空港まで近いせいでここに住んで、フライトとフライトの間、いろんな通りのあちこちのバーにたむろしている。ってことで、毎晩がパーティ・ナイトさ。

 おっと、オレの名前ね。名前はドック。私立探偵をやってる。探偵の俗称は「ゴム靴」だが、今のオレはさしずめ「ゴム・サンダル」ってとこかな。以前は、ハリウッド映画の伝統の探偵のギグみたいなこともやってた。パーティとか離婚沙汰とかでドラッグ逮捕劇のお膳立てしたり、警察があれこれ仕掛ける徹底捜査の手伝いとか、いろいろやってたよ。

 しかしビーチに移ってきてからは、地味なことばかりだ。もうあんまりカルマを揺り動かすようなことはしない。荒手の航海は減ったね。実入りは悪いし、収益ゼロってこともあるし、逆にオレの方が結局ツケを負うことだってあって、そのツケってのが金だけじゃなく、もっとヘビーなことにもなったりするんだが、まあそれもグルーヴィかなと。いやグルーヴィだったんだ──ある日、昔の彼女が訪ねてくるまではな。その彼女がした話ってのが、ボーイフレンド──って呼ぶにはだいぶ年を食った男友達なんだが、そいつの妻と愛人とが絡んでて、聞いてみるとこれがだいぶ奇妙な話なの、まあ、それは本で読んでみてくれ。 Inherent Vice, ペンギン・プレスから、27ドル95セント。2ジュー7ドル、9ジュー5セントだと? ほんとかよ、それって3週間分の食糧の値段だったじゃないか。えーと、今、西暦何年だ?
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『LAヴァイス』──how it begins.

『LAヴァイス』のオープニングをお読みください。

 彼女は細い路地を抜け、裏の階段をのぼってやってきた。昔と同じように。ドックは一年以上彼女の姿を見ていない。というか誰も彼女を見ていない。あの頃の彼女はサンダル履きで、花柄ビキニのボトムに色あせたカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのTシャツをひっかけていた。それが今夜はフラットランドの堅物ルック、髪もバッサリ短く切って、あんなふうには絶対ならない、といっていた格好そのまんまだ。
 「シャスタか、シャスタかよ?」
 「幻覚だとでも思ってるわ、この人」
 「その新しい格好、幻覚かと思ったよ」
 カーテンをつけてもほとんど意味がないキッチンの窓から、街灯の明かりが差し込んでいる。寄せては返す波の鈍い音が坂の下から聞こえてくる。夜は風向きさえ良ければ、街のどこにいても波音が聞こえた。
 「助けがいるのよ、ドック」


きわめて限られた語数の会話が、思いを積み込んで進んでいきます。会話のところ、原文は──

"That you, Shasta?"
"Thinks he's hallucinating."
"Just the new package I guess."


 愛した女。今も愛する、去っていった女。最後に見たときは、野性のままの髪を垂らしたヒッピー女だった。それが、いきなり帰ってきたと思ったら、フツーの市民の格好をしている。時はシックスティーズとセブンティーズの狭間。目の前に立つ彼女の視覚像がドックには信じられない。「幻覚見てるわ」と言われて、幻覚なのはどっちだろうと思う。この「一般市民女性」のパッケージ一式、こっちが幻覚なのでは。何年も(とは明記されていないが)心にしまい込んでいたシャスタの方がリアルであって当然だ。男は女を姿において愛する。
 いやあ、いきなりテンション高いです。ロマンチック・ピンチョン。ハードボイルド・ピンチョン。いろいろあります、『LAヴァイス』。
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刷り上がりました、『LAヴァイス』

新潮社装幀室のお仕事。今回も感服です。

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2012年04月12日

『LAヴァイス』は4月27日発売予定

訳者からというのも筋違いかもしれませんが、
『LAヴァイス』のカバーデザインをお披露目します。
『ニューヨーカー』などでおなじみのエイドリアン・トミーネ氏のイラストレーションになりました。

http://www.adrian-tomine.com/Illustrations.html

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2012年03月22日

『LAヴァイス』あとがきプレビュー(校正段階)

 Inherent Vice は現在最後の詰めの段階。面白いです。ピンチョンが60年代末から70年代初頭にかけて『重力の虹』を執筆していたのは、ロスのマンハッタンビーチであることが知られていますが、『ヴァインランド』のゾイドの六〇年代エピソードと同様、その〃ゴルディータ〃ビーチを本拠に、ロス圏一帯を(時にラスヴェガスまで含めて)動き回る物語。一本のプロットで時間通りに進むところは『競売ナンバー49の叫び』以来の緊密さ。でも探偵さんがヒッピーですから、『ヴァインランド』程度にはおちゃらけてます。大いに期待してください。発売は四月末。タイトルは『LAヴァイス』となります。
 このタイトルについて、「解説」で説明しました。まだ直りますが、こんな感じです。




 Inherent とは「そのもの固有の性質として備わっている」という意味の形容詞。Vice は「邪悪」と「欠損」の両方を意味する語である。
 船の事故に関し、海上保険会社は、貨物(または船舶)の自然な所作に近因して生じた損害について、保険の支払を免除される。たとえば疲労亀裂が原因でマストが折れて事故になったりした場合、それはインヒアレントなヴァイス(固有の瑕疵)が原因だとして、支払い拒否を主張することができる。
 小説中、主人公のヒッピー探偵ドックの友達で、海洋保険専門の弁護士をやっているソンチョは説明する──LAを船に見立てて、その海上保険契約を書くとしたら、地震源のサンアンドレアス断層は、その船に「固有の瑕疵」ということなるな、と。

 LAが船である、というのはどういうイメージだろう。これは「部分が全体を表す比喩」のようなもので、LAはアメリカ合衆国に等しいのか? 『競売ナンバー49の叫び』で、LA圏にサン・ナルシソという都市を描きながら、最後にサン・ナルシソをアメリカと等号で結んだように? しかしLA=USとすると、それが〈船〉であるとは?
 この小説に出てくる〈黄金の牙〉号は、スクーナー船である。数本のマストにヨットのような帆を張ったこの帆船は、今でこそリッチな階級の遊行の具だけれども、植民から建国期のアメリカの海岸を盛んに走っていたタイプの船だ。その船がインドシナ戦争まっさかりのアジアまで出かけていって、「ニクソン紙幣」を巻いたり、ヘロインを運んできたりするというのはどういうことか?
 しかしその船はもともと〈プリザーヴド〉号といって、ソンチョがこれを愛人のように愛し、ドックはドックでヘロインから立ち直ったサックス吹き一家の安全な航行を、この同じ(名前だけ違う、Preserved=時の荒波から囲われ保護された?)船に託すとはどういうことか?

 その問いにここで答えようとするのは控えたい。ただ、メルヴィルの『白鯨』のピークォッド号が、世界の人種を乗せて神にも挑戦しようというUSという国の野望の象徴であるとしたら、ここでピンチョンは同様の幻視的思考を展開していると考えても、大きな無理はないだろう。壁の5セント・コインから飛び出てきたジェファーソンは、作品のテーマをアメリカ史の全体に押し広げて考えることを容易にする。ピューリタンの神の光に導かれたこの国の、そもそものありようである悪ないし欠陥[傍点](inherent vice)は、歴史の流れに流されようもなく居すわり、常に厄災を世界に与え、自ら被り続けている。

 ふり返ってみれば、ピンチョンの小説は「時間に内在するどうしようもない力/傾向」について書き続けてきた作家だ。初期の作品では「エントロピー」という概念が重要な役割を演じた。だが次第に、その抽象観念は、歴史を動かす人間の犯す諸悪との結びつきを具体化させてきた。粗暴な〃科学的〃論理思考。ピューリタニズム。それらの展開形である、機械文明の展開そのものに埋め込まれた〈ヴァイス〉が歴史の舞台に表出したものとしての帝国主義。第二次大戦。ナチズム。ロケット。『LAヴァイス』の背後にあるのも、『ヴァインランド』の背後にあるものと同様、近代ヨーロッパに発し、アメリカという国の屋台骨に潜む悪ないし欠陥である。それはもう、『メイスン&ディクスン』の心ある観察者には見えていた。清教徒とその末裔が「神の光」とするもののなかに〈ヴァイス〉は籠もっていた。その光に逆らった『逆光』の闘争者をものともせず、六〇年代カリフォルニアの若者たちのユートピアの夢を叩きつぶしながら、アメリカに埋め込まれた基本的な欠陥(根からの性悪)は歴史を進む。

 Inherent Vice という題名をどう訳そうかと、訳者二名に、新潮社の北本壮さんを加えた三人は、ゲラの初稿を返し終えても、まだ議論を繰り返していた。譲れない条件は、原題とのつながりが保たれていること。そして物語を表していること。「悪の潜み」「悪の沁み」と、ニュートラルな線を狙うか(でもこの小説は、それについての本じゃないでしょ)、「傷みもの」「キズモノ」などというフレーズで、保険用語「固有の瑕疵」の意味合いを出すか(しかし、なんか演歌っぽいなあ)。それとも「重力の虹」と同じくらい壮大に「時の傷」なんて言い方で、エントロピックな世界観を表現するか(でも、この小説の読書感って、そういうのと違うよね、もっとヒューマンで、アッケラカンとしてるよね)。
 ええい、ままよ。われわれは『LAヴァイス』という題の軽薄さを受け入れる覚悟を決めた。軽い方が、下手に、陳腐な深みを装うよりはいい。だって、実際、ドックって男も、このありえないのにリアルで、ジンとくるのに結局おバカな物語も、スットン狂に、ファーラウトに、突き抜けているのだから。
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2012年02月24日

「週間ブックレビュー」で中村和恵、國分功一郎など

BS週間ブックレビューで以下の本を紹介します。

放映日がすぐです。以下のサイトで確認してください。
http://www.nhk.or.jp/book/next/index.html


【BSプレミアム】2012年2月25日(土) 午前6時30分〜
【BSプレミアム】2012年2月27日(月) 午前2時15分〜
【BSプレミアム】2012年3月 2日(金) 午後0時00分〜


担当する合評本は中村和恵さんの『地上の飯』

同時出演者:小池昌代さん、風間トオルさん
司会:室井滋さん

他に最近読んで面白かった本として
國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』

『鶴見俊輔語録A この九十年』

についてもしゃべります。
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2012年01月06日

今年もレイディオ・タカサキで

1月6日(金) 6:30 PM〜 「年の始めにパンシロン」
      RadioTAKASAKI FM 720 ”Air Place”


高崎市は、平らな平らな関東平野の、北西端、
そこに建つ21階展望フロアが、元旦の朝五時半、オープンになります。

6時10分を回ると徐々に明るくなってきた空、日の出は6時54分とのことですが、東南東の館林市から茨城方面には低空、雲がたなびいていて。薄い雲ですが、三層四層にわたっています。

真っ赤な太陽が、雲と雲の間の細いスリットに顔を覗かせる。
どぎつい赤の横線。それが、ちょっと笑っているようにも見えて、キウイさんには、ちょっと悪女の唇のように見えました。いやあ、すごい初日の出だ。
ビートルズ《Here Comes the Sun》

ビートルズとくれば、ギャートルズ。ギャートルズの味が出せるミュージシャンはムッシュでした。園山俊二・作詞、かやまつひろし・作曲、《はじめ人間ギャートルズ》

中島みゆき《はじめまして》、これも年頭にかけるには最高の歌詞、最高のビートです。今年も「あした」が、あと360日ほどありますですね。

で、市丸姉さんの小唄がいいのです。《初雪に》



初雪に、降り込められて向島
二人が仲に置炬燵
酒の機嫌の爪弾きは
好いた同士の差向かい
嘘が浮世か浮世が実か
まことくらべの 胸と胸


バチではなく、お三味をつまびく
最後の二行、この深みを、J-POPに出せるか、ザマーミロって感じですね。
フォークブルースの金属弦とひと味違う、洗練された糸の響き。

お別れは井上陽水が怪しく
http://www.youtube.com/watch?v=JQMwcqivFT4
蛍の光、窓の雪のエロス。

2012年01月04日

The Greatest First Novel of the Year.

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Miguel Syjuco, Ilustrado (中野学而・訳)

 本とは粘質的につきあってしまう僕には、簡単に読みこなせない本だった。ピンチョンの『V.』とは違うけれど、読書経験の豊富な新人が数多の意匠をちりばめた処女長篇である。しかも、フィリピンという隣国を意識化するのが、他の日本人の多くと同様に、僕は苦手だ。コロンビア大学で教育を受けた若者が、フィリピンの重い過去と現在を、文学的術策によって、ドンと受け止めようとする作品をすらりと紹介できるほど、文学のプロでも、国際派の読者でもないことがバレてしまうのがイヤで躊躇してしてしまったか。

半年前に送っていただき、これはスゴイと思ったのに、ブログに感想を乗せるが、年明けになってしまったけれど、原作者シフーコも、翻訳者中野学而も、とてもていねいに仕事をしている。昨年出会った最良の仕事の一つであることは間違いない。
 
 That you may not remember Salvador's name attests to the degree of his abysmal nadir. Yet, during his two-decade-long zenith, his work came to exemplify a national literature even as it unceasingly tried to shedder off the yoke of representation.

  “生粋の英米人”の若手作家も、なかなかここまで流暢な文章語は使うまい。そのときとして、かなり曲者である英語をすんなりと日本語化した翻訳者も、その晴れ晴れとした力量を示している:

 読者はおそらく彼の名前を覚えてはいないだろう。彼が落ちていった忘却の谷の深さも分かろうというものだ。だがその執筆活動の絶頂期にあたる二十年あまりの間、彼の作品は、現実世界との関連を断ち切ろうともがくその作風にもかかわらず、まさに「国民文学」と呼ばれるにふさわしいものだった。

 サルヴァドールは、「その “ロココ”調とでも表すべきリリシズムとデカダンスにもかかわらず、フィリピン国家の心理・社会的残虐性、つまり祖国の物理的暴力や傲慢さを、痛ましいまでのリアリティをもってえぐり出す」大作家である。その「大作家」になりきって、彼の多様な小説や伝記の一節を、自作の小説の中にちりばめようというのだから、何と大胆豪放なデビュー作であることだろう。

 それだけではない。物語は、ハリウッド映画のように幕を開ける。サルヴァドールの惨殺死体がハドソン河にあがるのだ。なにか世界に知られてはまずい国家の恥部を書き立てようとして、やられたのか。その謎を追って、(大江健三郎世代の)サルヴァドールを師と仰ぐ、平野啓一郎/川上未映子世代の(作者と同名の)在北米作家が、フィリピンへ旅立ち、国の現実を浴びる。

ミゲル・シフーコ(Miguel Syjuco):1976年生まれ。父はアロヨ大統領派の政治家。セブ島のアメリカン・ハイスクルールを卒業し、マニラの大学の英文科を出て、コロンビア大学の大学院で修士号、去年ようやくアデレード大学で博士号獲得。今のところ出版歴はこの一冊のみ。この作品は原稿段階で〈マン・アジアン文学賞〉を獲得。他にもいくつか名のある賞にノミネートされた。

 その文体は硬軟自在だが、同じことは「内容」についてもいえる。今なお現実としてフィリピン社会を覆う国難の歴史全体に目を向けようとする一方で、一人の女性に向けられるヤワで繊細な言葉によっても読者を引っぱる。
 そうした繊細な部分も翻訳が安心して読めることは、この訳本の大きな利点だ。別れたマデリンとの会話の記憶は、ときどき初老の読者の胸を抉る。
 パーティへ、初期のヒップホップを響かせた黒のレクサスで乗り付けるフィリピンの女学生セイディのしゃべりが、またいい。

「ねえ、ミゲル」と彼女は言う、「あなたさ、家族もいないって言うし、なんだか途方に暮れちゃってるように見えるな。良かったら家にご飯食べに来れば? ねえ、来なよ。うちのコックのチキン・アドボ、最高なんだから。人生変わっちゃうよ」(256ページ)

 セクシーなセイディが遠ざかったあと、ミゲルは大きく溜息をついて、ジョンの声を真似てみながら、静かに歌った。

ウー、ウォッハヴューダーン?

ロックを歌いこなす訳者ならではの正確さというべきか。ここが「ホワット・ハブ・ユー・ダン?」だったら、何と興ざめだったことだろう。



 過去数世紀、欧米の武威の時代に、日本とフィリピンはあまりに対照的な歴史を歩んだ。アルマジロのように、皮膚を硬くして、キリシタンの勢力も、浦賀沖の軍艦にも、戦後のアメリカナイゼーションにも耐えてきた日本と、ことごとく餌食とされた上に、日本軍による爪痕まで残したフィリピン。日本語教育が根付いた大衆翻訳大国の日本と、いつまでも森鴎外や新島襄のような、外国語を使いこなせる人間が知識階級(光を得た者=ilustrado )をなして国を導く構造の国との違いを、僕は肌で知るわけではないけれども、なんとなく想像はつく。日本だとカズオ・イシグロは、このように表記された英国人作家だし、水村早苗はこのように表記された日本人作家であって、その境界を踏み越えた、多和田葉子のような存在もいないわけではないが、日本文学の日本語への閉じこもりは、二十一世紀も顕著な傾向であることは変わらない。

 そういう意味で、この本は、原作も世界文学の野心作なら、訳文も優れた本であるにもかかわらず、マーケッティングが難しい小説ではあった。白水社で、「エクス・リブリス」という野心的(illuminating)な海外文学叢書をやっておられる藤波さんは、確かにいい本を選定したし、訳者もとてもいい仕事をした。なのに、話題性では、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』に負けたようだ。

けれども将来のノーベル賞を想像しやすいのがどちらだと言われれば、ジュノ・ディアスではなく、シフーコの方だと、多くの人が感じるだろう。(だからこそディアスの方が面白い、という言い方も成り立つけれど)。

意味の通じにくい日本語タイトルと、やはり意味の通じにくい表紙の絵は残念だったかも。21行詰め込んだ紙面も、辛かった。分かったような顔をしてすいませんが、定価を3000円に抑えるための工夫であれば、もう半ポイント字を小さくして、白い部分を増やして高級感を狙ったらどうだっただろう。二段組みでもいいから、「気さくな小説」ではなく「本格文学」として売り込む。「とっつきやすく」見せて、どうするんですか。「反大衆層」をターゲットにしてこそヒットする作品でしょ?

ともあれ、アジアの英語圏作家の若手トップ・ランナーの一人にシフーコが躍り出たことは間違いない。欧米が発信し日本が受信するという「外国文学」の構図が時代遅れになりつつあるなかで、今後この作家、このような作家を日本がどう読んでいくのか、注目される。

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2011年12月31日

菅啓次郎の贈り物

菅啓次郎さんの最初の著書『コロンブスの犬』(1989)は、こんな一節で始まる。

今日はエイプリル・フールだけど、これからいうことは嘘じゃないんだぜ。あした、出発する。ブラジルに行くんだ。さようなら。

同じ年に出た僕の『ラバーソウルの弾みかた』の最初の文−−「実家の押し入れからとんでもないものが出てきた」−−と、ほとんど真逆だ。「ブラジル」対「実家の押し入れ」。「それからあと、どこでどうなるか、さっぱりわからない。さようなら」対「ハロー・ポップス、1966」。

今年管さんから僕に送れられてきたのは−−

1)その『コロンブスの犬』の河出文庫版(写真=港千尋、解説=古川日出男)

2)「Walking 歩行という体験」
 ヒトは歩きながら自分を作ってきた。種としてのヒトがそうだったし、個人としてのぼくもそうだった−−という前書きで始まる、時の厚みと大地と生命でいっぱいの詩で、北海道の〈モエレ沼公園ガラスのピラミッド〉で行われた夏のイヴェントの刊行物。これがとても管々−−いえ、清々しい。

3)その詩と同じスピリットを、解説の言葉にした『野生哲学 アメリカインディアンに学ぶ』(講談社現代新書)小池桂一のマンガによる伝承物語つき

4)詩集の本としては、左右社から、昨年出た『Agend'Ars』 のパート2,『島の水、島の火』をいただいた。
ピンチョンの押し入れにとじこもっていた今年の僕は、これを通して、ああ、そうだ、空は一面の光なのだと、想像の中で同意した。

5)西原理恵子・絵、菅啓次郎訳の『星の王子様』というか『チビ王子』には笑った。

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6)圧巻は、菅啓次郎・野崎歓 編『ろうそくの炎がささやく言葉』
最初に治めてられているのが、谷川俊太郎の「ろうそくがともされた」という詩です。

ろうそくがともされて
いまがむかしのよるにもどった
そよかぜはたちどまり
あおぞらはねむりこんでいる


グラフィック・デザインの凛とした構成を見るかのような言葉の配列。
執筆者の半分くらいとは面識がある。中村和恵さんの二篇、よかったよ。

来年もアウトゴーイングな管さんであることでしょう。真逆をいくつもりはないので、僕も少し、地球を動きましょうかね。
posted by ys at 12:42| Comment(0) | いただいた本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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